5月21日(日) 那覇、羽田、アンカレッジ、チューリッヒ、ロンドン、グラスゴー

 ともかくもグラスゴーのホテルにたどり着いて、いま国際会議場を見てきたところだ。日記を書こうと思ったら、持ってきたものは、去年の日記帳だった。しかたなくホテルのメモ用紙に日記を書いていくことにする。

 日本時間12時5分、日本航空で那覇から羽田へ向かう。那覇空港には、妻と1月に生まれた娘はもちろんのこと、両親と弟も見送りに来てくれた。

 羽田に着き、インフォメーションでリムジンバスの発車場を聞いて、15分後に成田へ向かう。途中は渋滞もなく、スムーズに進んだが、空港直前で待たされる。成田空港入り口では警官がバスに乗り込んで検問をするのだ。何をするのかと思ったら、パスポートと顔を見比べるだけだ。スイス航空のカウンターがバスから見えたので、バスを降りてすぐそこへ向かう。成田空港には外国人が多いので、ここはすでに外国の雰囲気だ。着いたのは4時くらいだったので、出発までにはだいぶ時間がある。通貨を交換しスイスにいるU君へのおみやげを買う。チェックインは出発の2時間30分前だから、6時である。コーヒーを飲んだりして1時間半ほどただ待って、6時にチェックイン。

妻に電話をしたあと、税関・出国検査に向かう。税関職員に何か書くべきものがあるかと聞いたら、ないと答えた。だが、周りを見ると、出国検査と表示されたところに出国票を準備するようにと書かれている。そばに出国票があったので、これを書いた。そのため出国検査は簡単に終わり、搭乗ゲートに進んだ。昨年の新婚旅行でのハワイの空港を思い出した。ゲートは飛行機の乗り換えのときにも使われる。これから先チューリッヒで乗り換えるときのイメージができた。ゲートの前で1時間ほど待った。搭乗時刻になり、飛行機に乗り込んだ。

飛行機が離陸して安定化するとすぐ夕食になった。暖かく、アルコール類のサービスもあって、国内線の日本航空よりいい。日本時間の10時くらいから、うとうとしながら3時間が経った。出発から6時間たちアラスカのアンカレッジに着いた。アンカレッジ時間では、午前10時くらいであり、明るい。給油のため、客は全員機外へ出される。長い間座ったままだったので、ストレッチ体操をした後、1時間くらいぶらぶらと免税売店を見て歩く。ここはアメリカだが、売店の店員は、日本人だ。ハワイを思い出す。飛行機の客がほとんど日本人だからか。機内に戻り、窓から外を見ると、アンカレッジは小雨で薄暗く、いかにも北極に近い緯度の風景だ。写真を撮る。数分の仮眠をとり起きると、外が明るいので、ひとばんが過ぎたような気分になる。定刻になり出発する。

機内ですぐ軽食が出る。朝食のようなものだ。アンカレッジから初めて乗り込んだ客にはメインディッシュが出る。食事が終わり、スクリーンでは映画が始まる。私は眠くなり、すぐ寝入ってしまう。機内は狭く、よく眠れない。特に足が届かないので、ぶらぶらと不安定で痛くなる。前の席の人が椅子を倒しているので、足がよく動かせない。

うとうとして、ふと目を開けると、すでに前の席まで朝食を配っている。朝食を口に入れると、これは結構いける。イギリスに着いたときのために、パンとワインを確保しておく。スクリーンには、地図と飛行機の現在位置が映し出されている。飛行機の高度と速度も現れている。朝食後は、チャップリンの短い映画が2,3編上映されている。映画が終わると1時間ほどでチューリッヒに到着予定だ。

チューリッヒに近づく。上空から見る地上の景色は日本とあまり変わらない。畑などは同じように見える。しかし、さらに近づくと建物が随分違うことに気づく。

着陸すると飛行機の出口にはスイス航空の女性職員が3人待っていて、トランジット(乗り換え)の案内をしている。日本人の職員は手がふさがっていたので、他の職員に声をかけた。だが、よく分からないようだ。すぐ、日本人の職員が日本語で説明してくれた。ここでは日本語の世話になることにした。ここまでのスイス航空機には3人の日本人スチュワーデスが搭乗していた。日本語も通じるが、私は耳慣らしのため、外国人スチュワーデスにも声をかけるようにしていた。だが、スチュワーデスは、アンカレッジですべて入れ替わっていた。

トランジット・カウンターに行った。ここではtransitではなく、transferの表記であった。カウンターで時刻とゲートを教えてもらったが、よく聞き取れていなかったようだ。職員はトランジット券を示して説明してくれた。トランジット券は搭乗券を入れる袋のようなもので、袋自体が搭乗券だ。これをもってゲートA85へ向かった。空港のゲートを一方の端から反対の端まで歩く必要があった。動く歩道を通り、ようやく目的のゲートへ近づいた。手荷物検査の入り口がまだ開いていない。搭乗時間までまだ30分ある。それまでにトイレに入っておこうと思った。職員がカギを使って入っていたトイレが使えるか職員に聞いたら、だめだと言われた。掃除のおばさんがこれを見て、トイレのありかを説明してくれた。だが、これがドイツ語で、よく分からない。ともかく礼を言って、指し示す方向に、トイレの標識を見て進む。ずいぶん歩いて用を足す。戻ってみると、手荷物検査の入り口が開いていた。入り口を入ると、すぐそこにトイレがあった。検査を済ませてA85ゲートへ向かった。

搭乗時刻になり機内に入った。機内では、まずドイツ語、次にフランス語、そして最後に英語のアナウンスがある。チューリッヒまでは、その次に日本語があったが、これからは無い。安全設備の説明は前のものと同じで、英語とアニメーションだ。いろいろと説明のあった後、イギリスへの入国カードを配っている。この時、Do you have a passport of English?と言うので、もたもたしていたら、渡そうとしない。隣の人が受け取ったので、私は、I am a Japanese.と言った。すると渡してくれた。隣の人が笑って、目が合ったら、説明してくれた。ECの国の人は必要がないらしい。彼はスイス人で、スイスはECに加入していないので必要という。これをきっかけに彼と多少話をした。もちろん英語であり、途中はっきり聞き取れないところもあったが、私がProfessorであり、電子情報の専門家であることは伝えられた。彼は、エンジニアであり、どうやら印刷機械会社の社員で、イギリスへ説明に行くようである。またMonday (本日)はLondonで地下鉄のストライキがあるという。飛行機はストライキでないというので安心した。

ロンドン・ヒースロー空港に着き、まず入国検査を受ける。一人ひとりパスポーを出し質問を受ける。何日滞在するのか、滞在の目的は何か、どういう会議かと、まったくI先生の本に書いてあるとおりだったので、私も書いてあるとおりに答えておいた。しかし、1回では聞き取れない部分があり、問い返した。成田で預けた荷物を受け取る。無事手に届いたので安心した。税関では申告がないので、簡単に素通りした。

ここからは、英国の国内での活動なので、トイレでパスポートをシャツの内側の安全袋に入れた。インフォメーションに行ってグラスゴーへ行きたい旨告げると、英国航空のカウンターを紹介してくれた。ここですぐに切符を買い、帰りの予約をした。帰りの便の変更をしないのであれば安くなるというので、そのような切符にした。出発時刻を教えてもらったが、fiftyとfifteenを聞き違えていた。すぐ次の便に乗るのであれば、ターミナル1のゲート5に、急いで10分以内に行けと言われた。ターミナル1に行くと、搭乗手続きカウンターが多数あり、私はここで搭乗手続きをせずに、大型の荷物を持ったままで、ゲートに行ってよいのかどうか分からなかった。英国航空の係員に聞くと、そのまま行けというので、ゲート5に向かった。グラスゴー行きのシャトルサービス便は、ゲート5で手続きするのだ。ゲートと搭乗手続きがすぐそばだったのだ。搭乗手続きをすると、次の便には乗れないので、1時間後のものにせよという。こういうことなら、走る必要はなかったのだ。切符を売る人も無理を言って欲しくなかった。ここでゲートがA、B、C、Dと4つある。どれであるのか分からないので、係員に聞くと、事前に放送があるので聞けという。だが、放送は国内向けであり、速くしゃべる。とても聞き取れない。しかし、ゲートに行き先が文字で現れることが分かったので、注意することにした。放送があったが、これは何分か遅れることになったというものであった。10数分後に何か言っているが、今度は何か分からない。グラスゴーのことなのかさえ分からない。周りの人が笑っているので、もしやと思い、人が動いている先を見ると、何と、グラスゴー行きが予定より早く出るということのようである。心配なので、前の方に並んでいる人の切符をちらっと見たら、私と同じ切符なので、安心して飛行機の方へ歩いた。飛行機は小さく、私の小さな手荷物さえ上のロッカーに入らないものであった。仕方なく足の間に挟んでおいた。そうしている人は他にもたくさんいるようだ。飛行機はスムーズに飛行し、1時間ほどでグラスゴーに着いた。

グラスゴーでは預けた荷物がすぐには出てこなかった。結局すべての荷物が出た後の出口付近にあった。荷物を受け取り、バスでグラスゴー市の中心部に行こうと思うが、バス停が分からない。近くに立っている人に聞くが彼らも分からない。地元の人でないようだ。仕方がないので、タクシー乗り場でタクシーに乗り、セントラルホテルに向かう。料金は8ポンド20ペンスだったので、9ポンドを渡し、残りはチップだと言った。小銭の持ち合わせが少ないので、80ペンスで十分か心配だった。だが、運転手はThank you.と言って去っていった。

ホテルに着くと、チェックインにはまだ早いというので、30分くらいならと待っていた。従業員の英語がよくわからず手間取った。イギリス英語、特にスコットランドの英語は、アメリカ英語に慣れた私にはよく聞き取れない。

ホテルの部屋に入る。まずはナエコに電話しようと思う。フロントの近くに英国電信電話会社のパンフレットがあり、日本語の説明もついている。それに従って電話番号を確かめて電話した。ナエコの声はすぐ近くに聞こえたが、私の声はエコーがついて聞こえる。これは、スイスのU君に電話をしたときとは多少違う。

風呂に入ろうとしたら、これにはシャワーがついていない。いわゆる西洋式の風呂池だ。しかも風呂桶がついていない。もちろん洗面器もない。I先生の本に旅行の必需品として風呂桶があった理由が分かった。仕方がないのでそれなりに入った。やはりすっきりしないものである。

市内を少しでも見ようかと思い外に出る。このホテルは地図にあるようにセントラル駅の一部になっていた。すぐ裏、すなわち内側が駅だ。駅のベンチに座って、目の前を通る人々を眺める。そばではお婆さんがタバコを吸っている。ここではハワイとは異なり、日本と同様、タバコは散らかし放題である。前を通る人はほとんどすべてが白人であるが、どうも私が知っているスマートな白人ではない。いろいろな顔があり、日本人と同様、美男美女でない人の方が多い。外人特有の立派なイメージが感じられない。背丈も日本人と同じくらいのようだ。ここがスコットランドだからなのだろうか。

この街には押しボタン式の信号が多数あるが、これを守らない人の方が大多数である。日本より悪いように思う。

タクシーの運転手が、ホテルからコンファレンス・センター(会議場)まで歩いて10分くらいだと言っていたので、歩いて行くことにした。ガイドブックの地図と現実はだいぶ違っているようで、道が分からなくなった。近くを歩いている人にたずねると、答えがどうも英語としては聞き取れない。このとき警官が来たので、この人に聞いてみたらたらと言われて聞いてみた。これも、やはり聞き取りにくいが、何とか分かった。警官によれば、センターは思ったより遠かった。あとでセンターからの帰りに計ってみると、30分かかっていた。コンファレンス・センターはずいぶん大きく、東京晴海の展示会場ほどだろうか。自分が発表するポスターセッションの場所をのぞいてみると、緊張感が高まった。

ホテルに帰って、一休みし、これを書き始めたが、午後8時になったので、食事に出かけることにする。駅ビルのパブ・アンド・レストランに入ると、すでに料理は終了し、サンドイッチ類しか残っていない。これを食べて、戻ってまた書き始めた。

5月23日(火) 国際会議場、ウエルカムパーティー、

 

 朝6時ころ目を覚ます。7時まで目覚ましが鳴るのを待つ。ドアの外には昨日たのんでおいた朝食が届いている。コーンフレークとミルク、ジュース、パン、ジャムだ。暖かいコーヒーとハムやエッグがないとわびしいものだ。8時40分の学会のバスに間に合わせるため急ぐ。昨日の夜に気が付いたが、歯ブラシがない。久しぶりにひげを剃るだけ。シャツの洗濯をフロントに頼み、道の角でバスを待つ。私が待っていると、ほかの学会員も続々と集まってくる。2階建てのバスが来たのでそれに乗り込む。会場までは10分ほどだ。

 会場の裏に着く。受付へ向かう。会員番号を告げ、バッジや概要など一式を受け取る。概要に自分の名前があるのを確認して安心する。しばらく、概要や他の資料を見ている。ポスター発表が気になるので、会場を見に行く。気の早い人は準備を始めている。布地に張り付けるためのシールが切って準備されている。これでポスターを布地の壁に張り付けるのである。

 定刻になったので、単語音声認識のセッションに行く。素晴らしく大きな会場である。中央にオーバー・ヘッド・プロジェクタ(OHP)がある。資料はスクリーンに大写しになる。発表者はすべてOHPで発表している。ポインターもあるが、多くの人はペンなどで指し示している。言語が英語であるだけで、それ以外は日本の学会と同じだ。チェアマン(議長)は一人である。日本でこの学会が行われた時は、日本人のチェアマンと2人で行っていた。その時は日本人の発表者が多かったからか。午前の前半のセッションが終わったので、またポスターセッションの会場に行く。しばらくすると、後ろからAさんが声をかけてきた。彼も単語音声認識のセッションで聴いていたようである。ここでコーヒーブレイクのために用意されたコーヒーを飲んで、単語音声認識の会場に戻る。

 午前の後半の発表を聞き終わり、昼食をとることにする。様子が分からないので、食堂をすべて回る。多くの人が並んでいる。結局ポスターセッション会場に作られた簡単な食堂に行く。ハムサンドのようなものとコーラといちごを頼む。メニューはこのようなものである。これが一般的な昼食なのだろうか。しかもこれで1000円くらい!食事を終わり、途中で購入した歯ブラシで歯をみがく久しぶりに歯をみがくが、歯ブラシが合わないのか、さっぱりしない。

 午後の前半の発表を聞きに会場へ向かう。こんどは臨時づくりの会場でOHPがあまり見えず、言葉も聞き取りにくい。午前ほどは分からない。発表者も早口で、私の語学力では分からない。日本人の発表では、ほとんどが原稿を読んでいる。外国人で原稿を読む人はいない。

 午後の前半の発表を聞いてコーヒーブレイクに行く。私は、この後は聞かずにホテルへ戻ることにした。バスでホテルへ戻り、発表練習をする。学会からもらった資料をまた見る。資料には結構おもしろいものも含まれている。レセプションへの招待や、見学会への招待などがある。本日もリセプションがあるというので、Aさんと行くことにする。

 6時になりAさんが私の部屋を訪ねてきたので、連れ立って出かける。歩いて行けるところなので、地図を頼りに歩く。途中、会場のCity Chamber の隣に、ジョージ・スクエアという公園がある。Wattの像があったので、その前で写真を撮る。他の人の像もあるが、どういう人であるのか分からない。目の前に立派な建物があるが、これが何であるのか分からない。地図によればこれがCity Chamberのようである。建物を回ってみると壁にそう書かれているので、定刻より30分ほど早いが、入ることにした。入り口の案内人が上へと言ってくれたので、階段を上った。上ではすでにアルコールが準備されていた。建物の内部は大理石でできていてとても立派な城のように見える。どうやら文化財で、見学させるもののようである。10分ほどするとバスが着いたらしく、会議への参加者が多数入ってくる。彼らがアルコールを取っていったので、私たちもアルコールをもらって、ホールに入っていく。ホールではクラッカーの上にいろいろなものが乗せられたものが置かれている。簡単なおつまみである。15分ほどすると、モーニングを着けた紳士と2人の女性と一人の男性が現れた。まず一人の女性があいさつをする。スコットランドなまりで何を言っているのかほとんど分からない。どうやらグラスゴー市の代表らしい。次にもう一人の女性が挨拶をする。今回の会議の委員長のようである。どちらも2分くらいであいさつは終わる。これでセレモニーは終わりのようである。係の人がつまみを片付けはじめる。灰皿らしきものが置かれてあるが誰もタバコを吸わない。係の女性にCan I smoke ?と灰皿を示すと、OKと言った。私は吸いだしたが、他の係の女性が、No smokingと言っているようなので、あわててその灰皿で消した。近くに立て看板のようなものがあるので、裏返しにしてみると、No smokingと書いてあった。この建物は文化財なので、本来No smokingなのだ。

係の女性は、市の婦人会か何かのボランティアなのだろう。サービスのプロではなさそうだ。

 もうこれ以上ごちそうは出そうにないので、会場を出る。二人でぶらぶらしながら、Qwecoss Street StationをのぞくCenter Stationでもそうであったが、改札口がない。駅内のハンバーガー・ショップでハンバーガーを食べる。店員のことばがやはり分からない。彼らのことばは聞き取れないが、こちらがしゃべっている英語は彼らには通じているようである。歩行者天国の通りを歩きホテルに戻る。

 ホテルでクリーニングができたかフロントに聞いたら、どうもできていないらしい。あとでボーイが私の部屋に来て言うには、私がカードに名前を書かなかったので、出さなかったとのことである。これにシャツ3枚と書いて、新たにシャツ2枚を加えてボーイに渡す。明日は3着できているだろう。

 

5月24日(水) 国際会議ポスター発表

 朝6時に起床し、7時40分のバスに間に合わせるようにホテルを出る。8時少し前に会場に着き、Breakfastの部屋に行く。ChairmanのZ先生はまだ来ていない。Aさんを探すと、彼はIBMのNさんとすでに話をしながら食事をしている。配食の列に並ぶ。食事は、大きなパンのようなものとバターとコーヒーまたはジュースである。やはりハムや玉子はない。ここではこのようなものが朝食なのだ。Aさんらの席にと思ったら、すでにアメリカ人も一人座っている。旅は道連れで、知らない人も同じ発表会場のよしみで近づいてくる。AさんとNさんも初対面のようである。各人一人で来ているのだ。知り合いはあまりいない。少し日本語で話していると、アメリカ人も知り合いが来たようで、席を離れた。定刻の30分前になったので、発表会場に行く。張り出された番号を見て自分の発表場所を見つけて、そこで発表の準備をする。貼り付け用パッドがまだ準備されていないので、持参した画鋲でセットする。ほどなく準備ができる。サイズなどは予定通りだ。矢印も準備してあったので、すぐ取り付ける。途中でChairmanのZ先生が現れ、発表者をチェックしている。彼は、体格はいいが日本人のような顔をしている。ひげを生やして立派な顔立ちだ。まだ若い。50歳前後だろうか。発表10分前になったので、トイレに行き、タバコを吸っておく。定刻になるとチャイムが鳴った。

 何人かがタイトルを見て通り過ぎていく。日本人が説明してくれという。彼はNHKの者であると名乗っていたが、顔と名前をちゃんと憶えていない。失礼なことをしたと思う。彼に英語でいいかと聞き、英語で説明を始める。途中まで説明をしていると、これを聞いていた中国人らしき女性が質問したいと言った。これに答えていると、途中で、先ほどの日本人の方はありがとうと言って去っていった。そのあとは次々と説明してくれという人が来た。少なくとも5回は説明せよと学会のマニュアルに書いてあるので、何回説明したか数えておいた。11回は説明したので、十分だろう。自分の論文は20部準備していたが、初めの方で配ると後の人の分が不足すると思い、請求する人だけに配った。たぶんそうして6部ほど配っただろう。今数えたら9部残っているので、ほかに5部配ったようである。質問者の中で特に印象に残ったのは、AT&TのLという人で、私の発表内容は、フィリップス社の誰かが2年ほど前にやっていたことと同じだという。もしそうなら、論文を送ってくれと彼に名刺を渡した。彼も名刺を渡した。また熱心に聞いてくる中国人らしき青年とは、20分ほどか、かなり話した。彼が手掛けていることと同じだという。しかし、どうも彼は学生であり、結果は発表していないという。研究が完成したら論文を送ってくれと、名刺を渡す。ほかにも白人、インド系らしき人に説明した。名札をよく見ていないので、有名な人もいたかもしれないが、分からない。ラビナーは私のところに来なかった。したがって、あいさつすることはできなかった。3時間ぶっ通しだったので、最後の15分は早くタバコを吸いたかった。声が枯れるほどだったので、発表としては十分成功と言える。最初の方は、原稿を見ながら話したが、後半は暗記していた。発表しながら練習もしていたことになる。ともかく聴者に英語で説明ができたので、十分である。

 12時10分になり、ポスターを片付け始める人もいる。IBMのNさんが来たので、私も片付け始める。片づけた後で気が付いて、ボードの前で写真をNさんに撮ってもらう。Nさんも撮ってあげる。Aさんのものは、彼が気づかない間に撮ってある。Nさんと話しながらAさんを待つ。Aさんは東洋人とずっと話している。彼に話しかけると、東洋人は日本語で「私はこれで」と日本語であいさつして去っていった。日本人であったのだ。分からないものである。中国人も韓国人も日本人もみんな同じような顔をしている。もしかして私も日本人に英語で説明し続けていたかもしれない。しかし、私のポスターにはJapanと書いてあるので聴者は気づいているはずである。

 AさんとNさんと連れ立って、会場を出る。学会の案内図によれば、この辺にレストランがあるはずだが見あたらない。スナックと書いてある店をのぞくと食事をしているようなので入る。店員が案内しないので、適当に座る。1日目のスナックバーでもそうだったが、ここスコットランドでは案内しないのだろうか。ここは日本で言えば仙台くらいの田舎町だからそうなのだろうか。日本では案内のあるレストランはそう多くない。店員が注文を取りに来たが例のごとく良く聞き取れない。こちらが言い返してあちらがそうだと言ってようやく意味が通じる。どうやらソーセージの定食とカレーしかできないと言っている。5分くらいでできるという。ソーセージ定食は2つしかできないと言っているので、Aさんはカレーでいいと言った。だが、できてみると定食は3つあった。ビールもたのんだ。料金はその場でその都度支払う。チップはいらないようだったのであげなかった。最初の日もそうであったが、スコットランドでは不要なのか。それともスナックだからそうなのか。今のところ分からない。

 会場に戻って講演を聞き始める。ビールが効いてほとんど寝てしまう。午後の前半が終わって、コーヒーブレイクでコーヒーを飲む。後半を聞く前に私はRegistration deskに行って、私のRegistrationが払われているかを聞く。4月15日にようやく支払われたようである。英国ではOKだったが、日本では問題があったとか何か言っているようだがよく分からない。VISAの領収書だけもらってくる。同じような問題があった人がほかにもいたようで、そばで私たちを見ていた外人がI had the same problemと言っていた。

 会場で午後の後半の最期の方を聴く。ここでの目的はCMUの発表者の顔を覚えることだった。

発表の内容は不完全のもののようだった。

 会場を出てAさんと会ってexhibiter’s receptionの会場に行く。まだ時間があったので、会場を見ながら暇つぶしをしていると、アルコール類が配られはじめた。私たちも列に並んでコーラをもらいのどを潤した。資料一式に入っていた飲み物県が役に立った。コーラを飲みながら会場を回ると、ちょっとした食事にもなるものが一皿ずつ置かれていたので、これを取って食べた。移動し、ほかの場所では、今度はワインを頼む。ここで、Rさんの知り合いにでもあいさつしようと、先ほどの発表者に声をかける。彼は大学院生だろう。彼がLさん(先ほどのLさんとは異なる)に聞けばいいというので、紹介してくれという。Lさんに紹介され、Rさんについて聞くと、Rさんは非常に忙しくて、今回は来れなかったという。RさんはLさんのボスであるという。Lさんは、私がRさんのもとへ留学したいというと、Rは忙しくてほとんど指導しないという。Rのところに行くとき、Lさんに連絡すれば、共同研究社を紹介してやろうという。留学することになれば、Rさんはもとより、Lさんにも連絡しようと思う。Lさんに今回の私の論文をRさんにと託す。私の名刺をRとL、先ほどの学生に渡して分かれる。

 時間になったので、バス停に行き、バスに乗る。ホテルに戻ると部屋には洗濯物が届いている。洗濯物についてフロントにはラウンドリーというと通じなかった。昨日の電話ではラウンドリーですねと訂正されたのだが。どちらが正しいのだろうか。辞書によればLaundryである。

5月25日(木) 音声認識セッション、市立美術館、喫茶店、バンケット

 朝7時に起床。8時ころホテルのレストランに行く。バイキング方式の朝食をとる。朝食券はなく、そのまま料理を取りに行く。やっと温かいソーセージにありつく。8時40分のバスに乗り、9時前に会場に着く。

 音声認識システムに関するセッションで聴講する。はじめに基調講演があるが、内容は専門家にとっては当然のことであり、特に目新しいものはない。時間になってもなかなか終わらないので、座長が、まるでやめさせるように終わらせる。座長は、私が論文の参照文献にあげた例のイギリスのMooreのようである。結構若い。私と同年齢くらいだろうか。前半が終わり、トイレでNさんに会う。コーヒーを飲みながら休んでいるとAさんが来る。バンケットの券は持っていないとのことだった。

 セッションの後半を聞いたあと、Aさんがバンケットの券を手に入れるまで待つ。ホール5で昼食をとり、しばらくNさんと3人で話をする。IBMの内部事情などを聞く。1時45分からポスターセッションが始まる。私は3つを選んで重点的に聞く。連続マルコフモデルというのがあったが、これは出力確率がガウス分布というものであった。母音連鎖について前後関係をモデル化するというものであったが、これは単に正規化のようであった。DPとニューラルネット(NN)用いるものだった。これは、まずDPをやり、次に独立的にNNをやるというものであり、特に難しいものではなかった。また認識率は、スペクトルリーディング法より少し悪いものであった。国際会議でも、オリジナリティーはそれほど高くなく、確実性もあまり高くないものが多いように思われた。日本人の発表が完成度は高いように思われた。ポスターセッションをある程度聞いて、会場のバスを利用して外に出る。

 Nさんと3人で連れ立って、市立美術館に行く。絵画を中心に見る。素晴らしいものが多い。モネ、ゴッホの本物もある。これで入場は無料である。中世の武具、鉄砲もある。ほかに博物学的のものがある。キーホルダーを2個買う。一通りまわり写真を撮る。隣に芝生を張ったゲートボールのコートのようなものがある。しかし中でやっているのはゲートボールではなく、むしろボウリングに似た球技であった。

 Nさんと別れ、少し歩き、近くの喫茶店に入った。なかなか店員が来ない。しばらくして、店員が現れたので、呼んでコーヒーを頼む。ミルクと砂糖を入れるのか聞くので、入れると言って持ってこさせた。Aさんと時間をつぶしていると、店員がコーヒーのお代わりを持ってきた。ついでにアイスコーヒーを知っているかと聞いてみたら、そういうものは知らないという。これはどうやら日本だけのようである。

 喫茶店を出て30分ほど歩き、ホテルに向かう。途中レストランが多くある通りに出る。ホテルに近いところにレストランは結構あったのだ。ホテルに荷物を置き、バスでバンケット会場に向かう。

 バンケット会場のホテルでは、飲み物を渡され30分ほど待たされる。会場で、受付時間が30分あるので。Aさんと話をしながら待つ。待ち時間の最後の方で富士通のKさんに気がついたので、名刺を渡す。

 適当に席に着く。あとから来た外人が隣に座りあいさつをする。すぐ隣はイタリアのミラノ工科大学の人であり、斜め向かいのAさんの隣はロンドン工科大の20歳台くらいの若い人であり、話しやすかった、ロンドンの人には、ロンドンの見どころなどを聞いた。イタリア人は、イタリアの標準語はフローレンス語であり、500年ほど変化していないというような話をしていた。次々と料理が運びこまれた。フランス料理に比べれば素朴なものである。これで30ポンドというのは高い。しかし、ワインなどは飲み放題であった。IEEEのラベル付きのスコッチがあったが持って帰るのを忘れてしまった。何かおまじないのようなものをいうセレモニーがあり、ソーセージ料理が出てきた。これのためのおまじないのようである。これにはイタリア人は手を付けなかった。Aさんと私はすべてガツガツと食べた。

食事も終わりに近づき、コーヒーが出ると、表彰式が始まった。論文賞などが発表され、日本人ではFさんが論文賞を受賞した。例の時間方向のターゲットを用いる方法によるものである。表彰された人は中国人など、東洋系が多いように思われた。表彰に先立ちあいさつがあった。まず今回の主催者代表であり、結構おもしろい話をしているようだが、私は意味が分からず笑えなかった。あとは我がsocietyの代表であり、女性であった。私は役員の顔などは知らなかった。表彰式が終わるとすぐScottishのエンタテインメントというのがあって、舞台で歌などを歌い始めた。それとともに表彰された人たちは場外へ出ていった。ここで時刻は10時45分ほどになったので、私はAさんに別れを告げホテルに帰った。

5月26日(金) エディンバラ

 昨晩は午前2時くらいまで起きていたので、8時に起床した。9時ごろから朝食。出るときクリーニングを頼もうとしたら遅すぎて頼めなかった。

 クイーンストリート駅に出て、エディンバラ行きの切符を買う。日帰りで格安料金のものを買った。10時30分発の列車に乗る。自由席である。速い。日本の新幹線くらいと思われる。1時間足らずでエディンバラに着く。中央駅のひとつ前で降りるところだった。乗客に聞いて中央駅で降りることができた。

 地図に従い、外に出て子供博物館に行く。人形やおもちゃが多数展示されている。5部屋くらいの博物館だ。しかし思ったよりは小さかった。見るものとしてはここではマイナーのものと思われる。真紀に熊の人形と中国の皇帝の絵本を買う。駅に戻りインフォメーションに行く。ここで観光コース乗り降り自由の券を買う。3ポンド50ペンスくらいである。15分間隔で出ているという。12時を過ぎていたのでショッピングセンターで降りる。食堂街とでもいうべきところに出る。しかしすべてファーストフードの店である。ハンバーガーとコーラを頼む。席がないので、同席していいかと聞いて老夫婦の席に座る。あなたも旅行者ですかと聞かれたので、日本から来たと答える。彼らはカナダからという。エディンバラは観光地であり、どうやらアメリカ、ヨーロッパから多数旅行者が来ているようである。タバコを吸うため別の席に移ると、他人が同席した。私との会話は英語でなされたが、どうやら彼らはドイツ人のようだ。

 食事を済ませ、バスの発着地の橋に行く。空いているバスに乗ろうとすると、あのバスだと言われる。切符を切り替えてくれる。2階建てバスの屋根のない2階に上がる。しばらくすると出発し、女性ガイドが説明を始める。ほとんど聞き取れない。結構おもしろい話をしているはずだが。日本から持ってきたガイドブックを見ながら進む。スコットランドの歴史があまり分からないので、史跡の重要さが全く分からない。エディンバラ城では下車する人が多かったので、降りてみた。すごい城のようであるが、入場料が必要であり、中に入ると時間がかかりそうなので、入り口で係員に写真を撮ってもらいバス停に戻る。

 しばらくしてバスが来て乗り込む。決められたコースを通る。相変わらずガイドのことばが分からない。現在のエリザベス女王が泊まるという城があった。丘で降りるつもりであったが、降りる人がいないので、私も降りなかった。ニュータウンを回る。計画的に作られた街らしく、両端にスクウエア―と呼ぶ芝生の植えられた小さな公園があり、その間が長い大通りになっている。途中に蒸気機関で有名なスティーブンスの家がある。

 美術館前に来たので、ここで降りる。ここで絵画をゆっくり見る。スコットランド人のものらしいが、画家の名前が分からないので、ラファエロの絵や、ゴッホ、マティス、ゴーギャンの絵画をゆっくり見て出口で葉書を買う。

 ニュータウンの新しい商店街を歩く。スコットランドのキルトなどが置いてある店に入る。ここでチェックのネクタイ5本とナエコのネックレスを買う。これらはVISAカードで支払う。この店ではJCBカードが通用するようであった。JCBが通用する店も少しはある。5時近くなったので、駅に戻り、列車に乗る。

 6時近くグラスゴーに着く。センター駅に向かい駅横のハンバーガー屋に入る。ポテトチップがついているので腹いっぱいになる。ウエイトレスがいるが、他の人もチップを置いていないようので、支払いだけをして帰る。駅の中の本屋で雑誌を買い帰る。このような本屋にどうどうと置いてある雑誌だが、日本では考えられないポルノ本である。これほどだとは思わなかった。昨日のテレビのビデオはアメリカ製のようで、男性のものは全く見えないが、女性のものは毛が見える程度であった。だが、この本を見たら驚いた。

5月27日(土) ロンドン1日目

 朝7時ごろ起床。食事にてアメリカから来た老夫婦と同席になる。二人でハイキングを楽しんで帰るという。アメリカからくるのに、600ドル支払ったという。これに200ドルの払い戻しがあったという。アメリカの東海岸の(ニューハンプシャー?)大学の教授らしい。専門はRobustnessという。

 タクシーで空港に向かう。12時15分発であるので、11時30分ころ搭乗口に行く。しかしなかなか搭乗案内がない。結局12時30ころ搭乗し、13時20分発となった。昨日のテレビで、ヨーロッパ線が遅れて困るというようなニュースをやっていたが、飛行機の出発が1時間も送れるとは。

 ヒースロー空港に着く。荷物がなかなか出てこない。インフォメーションでスイス行きのチケットの買い方を聞いて、荷物を待つ。荷物が出てきたので、ホテルに4時に着く旨伝言をする。ターミナル2に行って、スイスエアーに行くが、12時半以降のものが満席なので、英国航空に行く。15時くらいのものがあるが、すでにビジネスクラスのものしかないという。そこでスイスエアーに戻り、朝の早いものにする。これだと出発の日は厳しいかも知れない。この時クレジッドカードのサインを漢字ですると、隣で見ていたアラブ人風の男がおどろいていた。スイスエアーの人もgood signatureとか何とか言っていた。外人にとって漢字はすごいもののように見えるのであろう。

 地下鉄にてホテルに向かう。地下鉄はいかにもTubeだが、ずいぶん汚いようだ。地図を見てここだと思われる駅で降りる。遠ければタクシーに乗ろうと思っていたが、駅から出てすぐにホテルがあることが分かり歩く。

 ホテルでは、U君がロビーで待っていた。手続きを済ませ、準備をしてU君のホテルを探しに行く。ここで私の部屋にはベッドが2つあるので、一緒に泊まれないかと思う。ホテルに戻り、その旨告げると15ポンドの追加料金で可能であるという。イギリスでは、日本とは異なり、2人で泊まると一人当たりはずいぶん安い。

 2人でホテルの部屋に行き休む。積もる話をする。私の結婚、出産、人工内耳の話など。U君の学位が取れたことを聞く。

 ホテルを出て歩き出す。食事をとろうということになり、それではと地下鉄に乗って、ソーホー付近の駅で降りる。ソーホー広場に行くが店がない。近くをすこし歩く。いろいろとレストランがあるが、もっとにぎやかで店があるところを探して歩く。ピカデリーサーカスに着く。多くの人がごった返している。劇場らしきビルの前では、人が並んでいる。車はごみなどで汚れている。浮浪者がいる。服装は日本より貧しい。物乞いされる。10ペンスくれという。駅の券売機前でもそう言っている夫人を見かけた。ここソーホーは、日本で言えば新宿歌舞伎町あたりか。目的とするレストランに行ってみたら、そこはレストランでなくバーであった。バーはいわゆる西部劇に出てくるようなバーであり、若者が立ったり座ったりして飲んでいる。日本のバーのようなソファーがあるわけでもない。こんなところで気持ちよく飲めるのであろうか。

 チャイナタウンらしき路地を通り、そこにステーキハウスがあったので入る。ここは一応レストランであり、旅行手引書にある方式である。スープとステーキと、ビールとワインをたのむ。ステーキはうまいが、ひどくかたいように思われる。量は、肉は必ずしも大きくないが、他の野菜やポテトはたっぷり置いてある。U君と家内の話などする。U君は、最初から結婚するだろうと思っていたという。仕事はやめて欲しくないようだ。食事を済ませ、アイスクリームを(これも3つ入っていて大きい)食べて、支払いはU君がして出る。チップはカードのレシートに10%と書いておく。計のところを10%増しておいた。

 レストランを出て駅を探す。周りはすでに酔っ払いであふれている。11時ごろである。夜は多少冷たい。ここの夜は短い(9時くらいまで明るい)ので、8時ごろ明るくても(日本の5時くらいの明るさ)酔っ払いのような顔の若者が歩いていた。地下鉄の駅の中も汚い。日本がいかにきれいか分かる。この街は私たちが想像するニューヨークのようなものであり、物価も高くいいところとは言えない。

 ホテルに戻る。コンセントがない。家具に隠れていしまって利用できないのである。そのうえシャワーが壊れている。またもやスコットランドで行った方式で風呂に入る。

5月28日(日) ロンドン2日目、大英博物館、グリニッジ天文台、ビッグベン

 Vanderbilt Hotelで朝食をとる。結構いい食事であった。しかし追加金を取られたようだ。チェックアウトをする。

 ビクトリア駅のインフォメーションでホテルの予約をする。B&Bシステムでよいと言ったら、二人で40ポンド、一人で35ポンドのものがある。スイスハウスホテルを紹介される。Videbilt Hotelと同じGlosester駅である。歩いて探すには時間がかかったが、駅からは5~10分である。ここに戻りチェックインする。

 B&Bシステムは日本で言えば民宿のようなものか。ボーイなどのサービスはないが、部屋の設備は十分である。シャワーが十分でありテレビもちゃんと映るので、上記のホテルよりはいいだろう。ここで日本に電話する。オペレータを呼び出したら話が合わず、結局オペレータが東京を呼びだしたようだ。日本語でダイレクトコールだといったら、それをオペレータに伝え、オペレータがホテルに伝え、私に電話を切るように言った。ホテルの方から電話があり、日本への電話の仕方を教えてくれた。最初からdirect dial call とすればよかったのである。オペレータと話が通じなかったのは残念であった。しかし内容によっては日本語でも通じない程度のことであると思う。ナエコに電話し、ホテルの電話番号とスイスへの日程を告げる。

 ホテルを出て駅の近くでハンバーガーを食べる。日本のものに比べパンがおいしくない。

 大英博物館へ向かう。どうやら出る駅を間違え、引き返し道人に道を聞いてまた戻る。やっと昨日見慣れた風景に出会い、博物館に入る。相当の数の人である。日本からの客も多い。まずエジプト部門のロゼッタ石を見たかったので、そこに行く。やはりロゼッタ石は人気があり、人が多い。写真などを撮っている。ここでは入場は無料であり、写真も自由である。石などでできているものは触ってもよい。

 U君に従い、番号順に進むことにする。ギリシア、ローマなどの石造物などが展示されている。大英帝国が華やかだったころに持ってきたものである。ひどいものである。これなどは宗教的にも意味のあるものだと思う。エジプト部門ではミイラがずいぶん展示されている。人間を展示するなど、私にはひどいものだと感じられる。ほかにイギリスの歴史に関するものがある。最後に図書部門に行く。マグナカルタの写本やヘンデルなどの音楽家の楽譜、ニュートンの手紙、ビートルズの手紙などが展示されている。博物館の大きさ、展示物の多さには本当に驚いた。帰りに絵葉書を買う。

 博物館を出て、アイスクリームを食べ、グリニッジに向かう。グリニッジへはガイドブックによれば20~30分くらいだが、15分程度で着く。天文台に向かってガイドブックに従って進む。ようすは想像したのとは異なり、入場無料の広々とした公園であった。天文台はすでに閉館時間が過ぎていた。ここで中国人らしき若い女性に写真を撮ってもらう。U君はまず英語で話しかけ、次に日本語でやると、彼女はI am sorry.と言った。日本人ではないらしい。海の方にCaty Sark号が見えたので、その近くに行く。今ではドックに入り、博物館になっている。海と思ったのはテムズ川であり、テムズ川をトンネルで抜ける入り口が近くにある。これも1900年代にできたものであり、歴史を感じる。

 ここでガイドブックに載っているレストランを探すがない。昨日もそうであったが、レストランはガイドブックに載っていてもそのまま残っているとは限らない。違うレストランに入り、U君はステーキ、私はサーモンステーキをたのむ。他にスープ、ビール、ワインをたのむ。ここでやはり耳鼻科の話などをし、時を過ごす。代金は私がVISAで支払う。4ポンドほどチップを付けたが、U君によれば必ずしもつける必要はないとのこと。サービス料が料金に含まれているから。しめて12,000円程度の出費か。

 グリニッジ駅に行くと、駅員はすでにいない。10時15分くらいなのに列車がないかと不安であったが、客に聞いたらまだあるらしい。しばらくしてようやく列車が来て、ロンドンの駅に戻る。途中ビッグベンが見えたので、そこを歩くことにする。途中トラファルガー広場がある。テムズ川沿いに歩き、ビッグベンに着く。これは国会議事堂であり、となりはウエストミンスター寺院である。写真を撮り、地下鉄で帰る。

5月29日(月) ロンドン3日目、ナショナルギャラリー、市内観光バス

 7時に目覚ましをかけていたが、きつかったので、7時30分に直して寝たつもりだった。しかし、スイッチオンにするのを忘れたらしく、8時過ぎに気づく。朝食は8時~9時なので急ぐ。ひげもそらずに階下に。あたたかいのはコーヒーだけの食事である。通常はここのようなもので彼らは過ごしているのか。

 9時半ごろ出かける。ナショナルギャラリーをめざしてチャニングトン駅へ進む。結局見始めたのは11時ころか。番号順にみていくことにする。ラファエロ、ダビンチから始まる。ルネサンス前の宗教画もたくさんある。オランダの画家、フランスの印象派は、すべてあるようだ。ゴッホ、ルノアール,モネ、マネすべてある。中学校時代に学んだ美術の歴史がすべてある。これらのうち一つでも日本にあると大騒ぎになるものがいくらでもある。ゴッホのひまわりもある。ピカソ、ゴヤもある。他にも有名なものがあるはずだが、自分が知っているものだけでかなりのものである。U君もかなり知っていた。スイスに来てから美術館めぐりするようになり、詳しくなったようである。これで無料であるからイギリスはすごいと思う。

 美術館を出たころには、2時くらいになり、U君が出ていかねばならない3時まで少ししかない。マクドナルドのハンバーガーを食べる。目の前にトレンチコートで有名なバーバリー(?)がある。ロンドン三越で買い物をするつもりで、その場所に行くが、本日だけは休みであった。ガイドブックに陶器で有名な店が近くにあることを知りそこを探すが分からない。またもや反対方向に進んでいたのである。確かに磁石が必要と思う。ガイドブックの地図は必ずしも精密でないから、それだけで場所を探すのは難しい。方向だけでも合うとガイドブックの地図はかなり良いと思う。やっと目指す店に着いたが、やはり高い。3~4万はする食器セットがある。ナエコがいれはじっくり選んで買っていくかも。私では役に立たない。ナエコのためのペンダントを買う。私のタイピンも買うように言われていたので、それを買う。U君は慣れているので、これをtax freeにする。15%安くなるというから大きい。

 急いでU君が出るべきビクトリア駅に行く。かなり時間が遅れている。彼は持っているポンドの現金をすべて私に渡す。部屋代という。現金を持たずに大丈夫だろうか。

 彼を送って同じ駅のインフォメーションに行って、市内観光の券を買う。5ポンドだ。本に書いてあるものより安い。向かいのmoney exchangeで、持っていたドルの現金とチェックをすべてポンドに換える。50ポンドほどになる。イギリスを出るまでは十分だろう。バスの出発停留所に行くが、まだ30分ほどあるので、コーラを買ってバスに乗り込む。時間となったので、運転手がイヤホンを持ってくる。日本の飛行機にあったもののようである。これでスイッチを切り替えて、日本語の説明を聞く。8か国語に切り替えて聞けるのである。説明は録音だが、英語説明を聞くよりはいい。

 ビクトリア駅を出て、ビッグベン付近を通って、後ろのバスに移れという。たしか、ビクトリア駅を出たときは私ひとりであったが、ナショナルギャラリー前で乗る人と合流させられたのである。出発してシティーを通り、ロンドン塔に向かう。途中タワーブリッジを渡る。ロンドン塔は塔ではなく、城というか監獄というか、そういう風のものであった。つくりは中世のものである。堀は今では埋められ、芝を植えて公園になっている。

 テムズ川沿いに進みビクトリア駅に着く。しかし止まろうとしない。そのはずである。ナショナルギャラリー前出発用だから。テープは全く同じものを繰り返している。勉強のためにと、英語に切り替えて聞く。30分ほど長く乗ってしまう。ナショナルギャラリー前で降りる。エディンバラ宮殿を見たいと思い、歩いていく。昨日夜通ったが、ホースゲートには気が付かなかった。例の門兵がいるところもある。彼と一緒に写真を撮ってもらった。

 地下鉄で帰る。部屋の中に荷物があるのを確かめ、コインランドリーへ向かう。普段でも使ったことがないので、使い方が分からない。そばにいる小母さんに聞く。小母さんは、親切に説明してくれる。コインが必要だが、それに使えるコインが決まっている。料金などの表示はない。コインランドリーは、クリーニング屋にもなっており、そこの小父さんに両替をたのむ。石鹸はいくらか聞いたが、two twenty pensという。こういう言い方をするのか。はじめは分からなかった。Twenty pens コインを2個というのである。確かに日本でもそうだが、お釣りの出るものの方が少ない。地下鉄の自動券売機もお釣りが出ない。自動券売機は日本の方が進んでいる。

 となりがタバコ屋などの売店であったので、タバコを買う。不親切である。The lightest one と言っても通じない。mildestというべきであると教えてくれる。愛想が悪い。自分の英語が通じないのかと自信を無くす。洗濯している間に、食事でもと思い、歩くが、多少遠そうなので、駅前のハンバーガー屋をめざすことにする。途中小さなスーパーがあったので、ビールとパンを買う。店の人は物の代金を覚えていない。表示の代金や表を見ている。この店だけが特別か。これでは仕事にならないのではないか。駅に向かう途中でインド料理レストランがあったので、メニュー料金表を見る。4ポンドくらいだからいいか思い入る。日本でもインド料理は食べたことがないので、要領を得ない。Very mild と言い、chickenをたのむ。料理が出てきてみると、それはほとんど辛くないチキンカレーであった。これにパン(インドパン)までつけてしまった。半分も食べないうちに腹いっぱいになる。店員は割と親切であった。勘定をたのむと、レシートを持ってきたので見ると、ワインも頼んだので、10ポンドほどになっていた。10%のサービス料というのがきちんと含まれていたので、チップはつけなかった。やはり経験はするものである。昨日U君と食事をしたので、要領が分かった。

 

5月30日(火) ロンドン4日目、英国電信電話会社研究所(TELCOM)訪問

 8時40分の列車に乗るため、6時に起床。駅に出かける。7時40分までには着いてしまう。切符を買い、ハムサンドを食べながら待つ。8時になっても目的の列車のプラットホームの番号が出ない。8時30分になったので、駅員に聞く。待っていた時刻表の前ではなく、他のところであった。急いでそこに向かうが、どこから入ればいいか分からない。工事中でかなり回らないといけない。これも他の駅員に聞いてわかる。ほとんど3分前である。やっと回り込み、列車の前にいる駅員に確かめて乗り込む。しかし乗ったところが1等車である。車掌に聞いて列車を降りて前の車両に向かう。1分前である。走っていく。入ってみると禁煙席ばかりである。しかし乗ってしまったのだから、社内を移動し、喫煙席をさがして、ゆっくりすわる。ひどいものである。駅員に聞かなければ乗れなかった。不親切な国鉄である。

 1時間ほどして目的のIpswitchに着く。出口に向かうと見覚えのある人もいるので、そこに行く。TELCOMの人が点呼をしている。10分ほどすると。TELCOMのガイドが歩きだすので、それについて行く。バスが待っていて、それに乗り込む。15分ほどして研究所に着く。ヨーロッパ最大の研究所というが、TT武蔵野通研よりは小さいと思われる。バスの中で日本人の2人に話しかける。富士通研の人と日立通研の人である。Speech Codingが専門という。日本人はこの3人であった。総勢30人くらいか。

 入り口でバッジをもらう。すでに名前が書かれてあった。しばらく経っているので、トイレに入る。出てくるとき皆移動を始めていた。ガイドは何も呼びかけずにただ走り出したのである。イギリスでは大声で皆に呼びかけることはしないのだろうか。しばらく行くと、喫茶コーナーのようなところに着く。ここでmorning refreshをするのであろう。自分でコーヒーを入れる。適当に立ち話などをしている。日本人同士ではしていると、カナダからの人が話しかける。英国の電話システムはひどいものだという。彼のプッシュホンのリモートコントロールがうまく働かないという。アメリカでは無線電話が普及しているという。ファックスも自動車から送るという。私が思ったより大きな研究所ではないというと、英国もヨーロッパもたいしたことないと言った。

 次にLecture室にあんなにされ、この研究所の概要を15分。音声部門の研究内容を15分ほど説明がある。スライドを使ってうまく摂津明するが、すごいことをしているという印象は受けなかった。光ファイバーは自信があるようであった。

 ここで4つのグループに分かれ、プログラムに従って見学する。最初は、電話のバーテング(?)。数字音声認識と、イエスノーの認識を組み合わせたものである。電話機で聴くように言われたので何をやるかと思うと、単にこれでデモンストレーションを聞くのであった。ここで例のカナダ人がおもしろいことを言う。暗証番号を言っているとき後ろの方で録音されたらどうするのかという。

 次のデモは翻訳電話であった。英語から日本語に翻訳するものであった。日本語の合成音は、ひどく立派なものであった。デモとしてデモンストレータが日本語を読み上げていたが、ひどいものであった。デモの後例のカナダ人が、今の日本語の合成音はどうかというので、私が、デモンストレータの日本語よりいいよというと、参加者の爆笑を買った。我ながらうまく冗談を言えたと思った。この合成音は単位単語接続であり、合成音ではないものであった。

 次は音声処理ボードのデモであった。IBM-PCに組み込み、認識、AD/DAをするものである。音声メールの管理に利用できるものであった。これを利用して、飛行機の到着時刻の問い合わせシステムを作っている。数字音声だけを認識している。数字入力はプッシュホンでもできるものである。

 これで午前の見学は終わり、昼食。この研究所の人と話しながら昼食をとる。我々を案内してくれた人と日本人3人がテーブルについたが、このガイドの専門は高品質のコーディングであるらしく、専門的に深い話はせず、英国と日本の違いなどが話題になっていた。食事はバイキング方式であるが、簡単なものであり、必ずしもおいしいとはいえない。英国の昼食は簡単なものである。肉類があるが、冷たいものであり、日本時にはおやつのようなものである。

 午後はニューラルネットから始まる。理論的な解析と実験をここなっているようである。APOROワークステーションで実時間で動くグラフィックを見せられるが、何のデモンストレーションであるか詳しくは分からなかった。次にニューラルネット・ハードウエアを使った音声認識をしているが、数字音声認識であり、デモとしてはぱっとしないものである。説明が英語の話し方が速くあまり理解できない。しかしどうも専門家向けのものではないらしく、これ以上詳しいディスカッションはなかった。

 次は飛行機での電話システムであった。これを製品化しているようであるが、技術的には特に新しいものはないように思われる。開発的研究か。ボードを見せてもらったが飛行機に乗せるボードはかなり丈夫にできているようだった。

 移動して、支店の喫茶コーナーに集合して、これで終わりであると告げられる。移動してゲートに行き、バスに乗る。駅について時間があるので、駅前で写真を撮ってもらう。ここからは富士通の谷口さんとずっといっしょであった。列車の中で琉大の話しなど雑談をして時間をつぶす。彼はFuj先生のもとで卒研をした人である。

 ピカデリーサーカスにきて、ずいぶん歩き回り、中華街で中華を食べる。久しぶりの“ごはん”とお茶で、かなり落ち着いた気分になる。中華街は50メートルほどのものであるが、中国人らしき人が多数歩いている。

5月31日(水) スイス・チューリッヒ、バーゼル

 5時に起床。洗面し、スイスハウスの人が準備してくれた朝食のミルクとパンの一部を食べ、6時頃出る。駅の近くに来ると、タクシーが10ポンドでいいというので、これに乗る。20分ほどでヒースロー空港に着く。高速を通るので地下鉄より速い。メータは15ポンドほどついていたが、10ポンドだけ払い出る。

 チェックインをしたが2時間以上前であった。ゲートナンバーもまだ書かれていない。荷物を渡したとき、何か「これをすべてつめたのか」というようなことを言われたが、何の意味か分からなかったので、もたもたしていると「OK」だというので、出国検査に向かった。Other passportのところでもたついている人がいたので、EC圏の入り口の係官が呼んだ。そこに行くとpassportだけ見て通してくれた。手荷物検査もすんなり通った。

 2時間ほどあったので、免税売店を見るが、高いものは高く、安いものはmade in Chinaだったりするので何も買わなかった。チューリッヒで買えばよい。40分前になってもディスプレーにはゲート番号が出ないので、待合室出口の警備に聞いたらNo.4だと言うので、ゲートNo.4に行った。しかし誰もおらず、ローマ行きの表示がされている。係員が来たので聞くとまだだから戻れという。もどるとまだ手荷物検査をしていて、待合室に帰るのである。まだ時間があると思ったのでトイレに行った。10分ほどして戻ってディスプレーを見ると、last callだというので走った。例の出口の警備にゲートを聞くとディスプレーを見て4番だという。ゲート入り口に着くと人々が待っている。まだ搭乗は始まっていなかった。時間になり飛行機に乗り込む。

 飛行機の中では朝食が出た。時計をスイス時間に合わせる。

 定刻より少し早くバーゼルに着く。入国審査はパスポートを見るだけで事務的なものである。荷物を受け取り、出口から出ようとすると、U君がカメラを構えて待っていた。バスに乗ろうと思ったとき、金はポンドしか持っていないことに気づき、両替に行く。ポンドのコイン各種類ひとつずつを残し、これとチェックの140ポンドをスイスフランに替えてもらう。スイスのコインはイギリスのそれに比べて小さく、使いやすいと思う。また札はポンドに比べてきれいである。汚くなっていない。

 バスが来る。これは郵便バスと言って、バスの後ろに郵便用の車を引っ張っているのである。ただし空港からのものについては客のスーツケースなどを入れていた。私たちは最後に乗れということで、運転手の近くの入り口にスーツケースなどを置いた。ここではすべてドイツ語である。U君は流暢に運転手とやり取りしていたが、私は、ドイツ語は全く分からない。またバスの切符は停留所の自動販売機で買えるが、急にスイスに着いたので、英国感覚だ。まだポンドで英語なら分かるというつもりでいる。まことに英語国でも苦労したが、英語の通じないところに行くと大変だ。何もできない。何か聞こうとしても聞けない。ほとんど動けなくなるのではないかと思う。

 バスと電車を乗り継ぎ、バーゼルのU君のアパートへ。これはどうやら大学の宿舎のようである。学生と職員が入っているという。彼の部屋は8畳程度であり、机とベッドが置いてある。あとは家具は小さなタンスだけであり、ステレオテレビ、炊飯器などが乱雑に置かれている。シャワーは1畳程度のものであるが、イギリスの私が泊まったどの部屋よりも良い。

 少し休み、大学へ。彼のオフィスに寄り、食堂へ。彼の栄養源はここでの昼食であるようだ。600円程度というが、肉の煮つけをマカロニとほうれん草で、十分おいしいものであった。食事をして食堂の2階に上がりコーヒーを飲む。これがまた濃いが、非常においしいものであった。圧力をかけて作るらしく、コクのあるものである。U君が少し用を済ませるまで待つ。

 この後、検査室と彼のオフィスを見せてもらう。平衡の検査室は自動化されており、隣室の耳鼻科のPDP11の端末もある。IBMコンパチのコンパックのパソコン図などを出していたが、図そのものをフロッピーに格納するので、能率が悪いらしく、これを自動化してしかもエキスパートシステムにすれば、たぶんこの分野では世界一と思うが。U君もBASICくらいはできるようになっているので、これらのことは少し手伝ってあげるくらいでできるであろう。

 彼の下宿に戻り、町を見学に出かける。昔の城壁のあとのゲートをとおり、繁華街へ。町の広場では、曲芸のテントがあり、これで鏡ぬけの芸をしている。市役所の前に行くと市が出ており、人々でにぎわっている。市役所の壁画を見て、ライン川の方へ行く。ライン川をながめながら、U君の学位授与式が行われるという建物を遠くからながめる。古いロマネスク様式とゴチック様式の合併した教会の中に入る。ここで6月2日に演奏会があるという。この裏に回り、ラインをながめる。ラインの流れは思ったより速い。帰りは電車にのって帰る。

 下宿を出て夕食をとりに出かける。U君はあまり外食をしないらしく、場所をよく知らないという。中華でいいだろうということになり少し歩き、中華店に入る。途中日本料理屋があったが、高いだけでうまくないだろうという。また沖縄出身者には口に合わないであろう。中華屋のウエイトレスは、英語で受け答えしていた。U君がドイツ語でやっても英語である。こういうのもここでは珍しいという。食事はチャーハンと牛肉炒めをたのんだ。これで40フラン程度であるが、外国では中華をとり、このように2品をとるのが安上がりであろう。昨日のロンドンでの中華はセット料理であったがセットが高ければこうすればよかったのである。

 下宿にもどり、シャワーに入り、ビールを飲みながら、明日の計画を立てる。一応マッターホルンを見に行くことにし、日本から送られてきたというビデオ“プロジェクトA2”を観る。途中で私は寝てしまう。U君は床に布団を敷いて寝る。

6月1日(木) ベルンからツェンマットへ

 8:00に起床。8時間ほど寝たので、十分だ。U君が炊いたご飯でお茶づけにして朝食とする。ごご飯の中に梅干を入れて、ゆで卵を作り弁当とする。1泊分の荷物をショルダーバッグに入れて出かける。11:00の列車に乗って出かける。室内はイギリスの列車に比べるときれいで快適である。

 車外の風景をながめながら、1時間ほどするとベルンに着く。この街はスイスの首都にしては小さな町である。国会議事堂があるが、イギリスに比べて小さく、県会議事堂という程度か。この建物は立派だが、一般にスイスの建物は、イギリスのゴシック建築に比べれば、素朴である。これは、これまでの経済力を反映したものであろうか。しかし、町は美しい。チリが落ちていない。人々の表情もロンドンに比べれば落ち着いている。

 ベルンの街を1時間ほど歩く。町の中心の道路には数か所噴水がある。町を川が流れている。大きな川であり、高い橋がかけられ、流れは急である。

 ベルンを出て列車を乗り継ぎ、ツェンマットへ着く。ホテルを探す。適当に街の奥の方に入り、数か所入口をのぞいたが休業のところがある。DONというホテルで聞いてみる。1泊50フランというから安い。ここに落ち着くことにする。チェックインをしてお土産でもと思い、町を歩く。スイスの田舎町はすぐ険しい山である。アルプスの少女ハイジの国であると感ずる。絵葉書と、ヨーデルのカセットテープと私のゴルフ帽子を買う。明日ルッツェルンでお土産を買うつもりであるが、時間がなければチューリッヒの免税店で買うことにする。

 本日はほとんどモヤがかかっており、雨も少しふる天気であるので、マッターホルンは見えない。明日はロープウェイに乗って行くつもりであり、マッターホルンが見えればと思う。

6月2日(金) ツェンマット、インターラーケン、ルツェルン、バーゼル

 朝6:00に起床。空はくもっている。マッターホルンは見えない。朝食をすまし、チェックアウトをして、急いで登山電車の駅へ。出券の窓口に係がいない。ほとんど発車時間である。窓口にありベルを押す。係が来る。車掌がhurry upと言っている。我々が乗り込んだら電車は出発した。電車はゆるい坂をガタゴト言いながら走る。電車が傾くので、電車の床は階段状に作られている。

 電車の終点に着く。ここがアルプスでも1,2の見晴らしの展望台のはずであるが、まったくの霧。マッターホルンどころか30メートル先も見えないこともある。少し歩き、売店のある場所へ上る。ここは天文台にもなっているようである。ここで絵葉書とナエコのための帽子を買う。

 30分ほどここにいて、同じ電車に戻る。電車の客は我々と、他には日本人家族4人。彼らも先週ロンドンにいたらしい。45分ほどでふもとの駅に着く。

 ここからさらに電車を乗りつぎBergへ。その間20分ほどあるので土産物屋をのぞき、スイスのマーク入りの100円ライターを買う。電車の時間ぎりぎりに電車の方に行く。電車の前でビデオを撮っていたら、外人の若い女性が撮ってあげましょうかという。2人並んで撮ってもらう。

 電車にゆられインターラーケンへ向かう。インターラーケンはインターレイクの意味で、両側は湖となっている町である。インターラーケンの直前でスイスの小学生が我々の車両に乗りこんできた。日本人とわかり“おはよう”などという。話をしたそうにしていたので、U君がドイツ語で話しかけると、気軽にサインなどしてくれという。住所も書いてくれというので、書いてあげたが、手紙でも来るとおもしろいと思う。ビデオカメラで写させてくれというので、U君が渡す。彼らが撮ったビデオはちゃんと映っていた。インターラーケンでは1時間ほど時間があったのでしばらく歩き、次の列車まで買い物をする。エプロンを3つ買った。ここで人を乗せている馬車を見た。ここは観光地らしく日本人もけっこういるようだ。Zermattと同じく、 美しい山を見るための登山基地のようである。

 インターラーケンを出てLuzernに向かう。しばらくは見なれた風景がつづく。湖を一つまわり、次の湖が右手に見えるようになるとここがLuzernである。駅を出ると湖があり、ここを中心に町ができている。今までの街とは異なり、大都会という風だ。町も多少よごれている。最近はスリも外国から入っているらしい。荷物に注意を払う。ここに来た目的である壁時計を買いにいく。店はわりと大きなお土産屋さんで、店員の中に日本人がいる。この店で最も良いと思われる時計を注文する。送料込みで50,000円という。保証書もついているようだ。注文して工場から日本へ発送されるという。3週間ほどで着くという。ここで栓抜きを3個買う。ゆっくり町をまわりながら、瀕死のライオンの像に行く。思ったより大きな像であり、岩壁に彫り込んだものである。ここでビデオも撮ったので、次の列車にぎりぎりとなる。結局間に合わず、次の列車を探すが、1時間後にしかない。食事でもしようと思うが、駅前は高いので、アイスクリームを買い、湖のほとりで時間をつぶす。

 Luzernを出てBaselへ。1時間ほどで着く。

8:00くらいになっているので、明日の出発のための荷造りをはじめる。お土産などをスーツケースにつめる。ショルダーバッグはできるだけ軽くする。明日のスイスチョコのスペースをあける。シャワーに入る間にU君がちらしずしを作ってある。それと中華コーンスープ。これを2人で本日までのビデオを見ながら食べる。U君がシャワーに入り、ビデオの後半を観ながらロゼワインを飲む。見終わったら、私は、すぐうとうとして寝てしまう。夜電話が鳴って起きると、U君が電話をしている。日本時間の朝か。奥さんと子供の教育について話しているらしい。子供がきちんと勉強できるように、奥さんにしっかり言っているのである。子供思いの父親である。ヨーロッパでも子供のために色々と旅行をしてあげたのだと思う。

6月3日(土) チュ-リッヒから日本へ

 朝6:30にU君の目覚ましで起きる。6:50ごろ日本から電話が来る。U君は日本にモーニングコールをたのんだのである。U君の寝床を見ると、2つの紙の玉がある。よっぽど私はいびきをしていたらしい。耳栓であろう。私がスコットランドのホテルから持ってきたインスタントコーヒーを飲み、バナナを食べて朝食とする。以外に準備が早く終わったので、駅に行くことにする。

 駅でも時間があったので、はがきとタバコを買う。列車に乗り、Zurichへ。1時間ほどで着く。乗り換えて空港へ。Zurich空港は、2週間前に乗りかえた所であり、濃紺の色で壁が統一されている。チェックインをする。時間があったので、近くの売店をのぞいて見る。ドイツ語で書かれたコンピュータ雑誌と英語のNewsweekを買う。

 時間は1時間前ほどになっているので、U君と別れてpassport controlへ。簡単に通過。免税売店をさがす。見つけて入ったが、ウイスキー、タバコ、香水などしかない。スイスチョコレートがない。しかたなくタバコを1ケース買い、定員にスイスチョコレートのある場所を聞く。そこに行くと人がごった返している。急いで小さいが多数個入っているチョコレートを5個買う。標識に従ってA75ゲートへ。日本人が多数いる。Bording時間になってもアナウンスがない。出発10分前くらいになってやっと搭乗。ヨーロッパの空が混んでいるらしく、出発は30分ほど遅れる。

 途中デンマーク上空で前線の上空を通過したとき多少ゆれたが、快適な空の旅だ。スェーデン上空を通過する。フィヨルドで複雑な地形をながめる。北極点近くになると、窓からのぞくと光の玉が見える。まわりが虹のようになっており、どうやら太陽の光が白い雲に反射しているように思われる。現在もずっと見えている。(アンカレッジ時間夜?9:00)ずっとあかるい。アンカレッジ時間8:34北極点上空を通過する。機内のスクリーンには飛行機の影と北極点が映し出され、North poleまであと何kmと表示されている。北極点で飛行機は方向を変えたようだ。機内で免税のオーデコロン”ニナリッチ“を買う。香水とオーデコロンのちがいが私にはわからない。