4月20日(日) 関西国際空港、フランクフルト、ミュンヘン
関空日航ホテルで6時30分に起床。8時くらいまでに食事を済ませ、チェックアウト。国際線のチェックインに行く。全日空のチェックインカウンターをまちがえて、その反対側に行く。関西空港の表示板は分かりにくい。チェックインを済ませ入口へ。入場手数料が必要である。そのためのカードを買う。出国審査を済ませ、ゲートへ。昨年のギリシャ旅行の時と同様に、タックスフリーショップでフロンティアというタバコを1カートン買う。1個あたり160円である。外国では気に入ったタバコを買うことはめんどうなので、この方法がいい。しかも安い。
さほど待たずに搭乗できる。窓側のスモーキング席だ。シベリアの風景をたっぷりビデオに撮る。ふしぎな地形である。三日月湖のようなものが多数残すほどに川はくねっている。流星落下の後のように多数の穴のような湖がある。望遠鏡が役に立つ。森林の木も見えるような気がする。
Frankhultに着く。ここで全員降りる。ここで乗り継ぎの人から先にというのに、さらにミラノに行く人も立っていて出にくい。出口で全日空の係員がいて、乗り継ぎのゲートを教えてくれる。A1ゲートだと言う。まずSky lineに乗って、ターミナル1に向かう。ビデオを撮ることができる。Sky line を降りたところで入国審査。パスポートにスタンプを押すだけだ。A1ゲートを探す。ここから広い。まず国内線の入り口に着いたようだ。表示板が分かりにくいので、informationで聞く。
A1搭乗口に着く。Munchenはここかと聞くと、A2だという。ひとつ前の便に間に合ったのだ。チケットを見せて搭乗券に替えてもらう。一応チェックインしたが、出発30分前に確認しろと言う。ここで4時間ほど待つ。日本人の中年女性がドイツのテレフォンカードで電話しようとしてうまくいかない。これはクレジットカード使用のものであった。試しに日本に電話してみる。日本では日曜日の夜だ。ホテルについたらまた電話すると告げる。Lufthansa航空では待合場所に無料の飲み物を準備してある。私はコーヒーを飲む。ミルクらしきものがあるが、ドイツ語で分からない。となりの人に英語で聞く。Milkは通じる。
一般にドイツでは英語が通じやすいが、レストランや普通の人には通じない。30歳代以下の若い世代や店などでは十分通じる。持ってきた日本語の文庫本をかなり読む。室内でも影のところではジャンパーだけでは寒い。時々温めるため歩く。
予定時刻になり、搭乗する。搭乗口に雨が降った後がある。寒く、悪い予感がする。Munchenに近づく。地面の表面が白い。雪である。雪が薄く積もっている。国内線であるので、到着口から簡単に出てくる。Frankfurtで換金していなかったので、不安になる。守衛に聞くと中央広場に換金所があるというので安心する。手荷物も出てきて中央広場に向かう。ここで$400を換金する。600マルクほどになる。小銭もまじっている。ここで列車にするか、リムジンバスにするか迷い、まずは共通であるはずのチケットを買う。自動販売機を見るがやはり分からない。説明がドイツ語だ。となりの人に英語でたずねる。8単位であろうことは分かっていたが、どのボタンを押すか分からない。とりあえずSのボタンを押してくれた。1,350マルクと出て20マルク札を入れてみる。この時8のところを押したが、これは間違いのようだ。彼が8のところまでカードを折ってくれた。
列車の入口に行きスタンプを押す機械があったので、周りの人のまねをして、カードを突っ込んだ。日時がスタンプされる。改札の人はいない。ここから市内まで8番の1本なので、安心して列車に乗る。とにかく中央駅で降りれば、いいのだ。列車の放送は聞き取れない。なんと発音するのか心構えができていないとほとんど聞き取れない。このあと数日ドイツにいて聞き慣れた駅名なら何とか聞き取れるようになった。
うすく雪の積もった田園を進む。ビデオに撮る。
中央駅に着く。Munchenの駅のホームは大きい。とにかく地上に出る。目の前の建物が中央駅のはずだが、どの角にいるのか分からない。羅針盤で南の方向に進むが、自信がない。寒い。早くホテルにつかなければ風邪をひいてしまう。歩いて行けるはずだからタクシーに乗る気がしない。駅のinformationが見えたのでそこに行ってみる。店を閉めようとしているところで、内側から開けてくれた。日本語の地図をくれた。ホテルの場所を教えてくれた。そこに向かって歩いているとその店員がちょうど来ていっしょに道を渡る。すぐあの角だというので、そこを曲がる。ようやくホテルが見つかる。
チェックインをする。部屋のドアはカード式だ。そのカードは日本に持ち帰った。ホテルの名はHotel Marcure cityだ。部屋は広く、ダブルベッドで、水回りは新品だ。さっそく湯を沸かしカップラーメンを食べる。バッグの中身を出し、ハンガーにかけ、引き出しに入れる。風呂に湯をため、足を延ばして入る。ようやく凍えそうな体を温める。金井医院からもらった風邪薬を飲む。11:00になり、日本に電話する。部屋にFAXがあり、日本語の説明書もあるが、最後まで使うことはなかった。ここまで日本の仕事を持ってくることもなかろうと考えたが、何もなかっただろうか。
ひどく寒いことを苗子に告げ、心配させてしまう。
4月21日(月) 国際会議1日目、オープニングセレモニー、市庁舎、午後のセッション
オープニングセレモニーを見るために6:30に起床。8:30ごろには会場に着く。学会のチェックインは簡単である。学会の袋がいかにも安い。麻袋である。スペインでのバッグの方が立派だった。
オープニングセレモニーは、シンフォニーホールで、オルガン演奏で始まる。T君がそばに座る。Ohさんに会う。州の文部大臣、市長のあいさつがある。Itさんの表彰が終ったころで会場を出る。市庁舎の仕掛け時計を見るためだ。T君と小林研の学生1人、助手1人と出かける。
11:00前に市庁舎に着く。幼稚園児のグループがいる。この風景をビデオに収める。Kさんが後ろから英語で声をかけてきた。T君のグループのだれかと思ったので驚かなかった。おどろかなかったので、Kさんはがっかりしたようだ。11:00ごろになって鐘がなる。ビデオカメラを向ける。仕掛けの動きをすべて撮る。T君のグループとともに、時計台にのぼってみる。パリの凱旋門で見た風景に似た建物群が広がる。ひどく寒い。風が多少ある。昨日からの異常気象らしい。気温が5°C以下であろうか。背広の内側にカーディガンだけではひどく寒い。
中央駅方面に歩く。お土産屋に入ってみる。ここで後日お土産を買うことにする。中央駅を見ながら昼食の取れるレストランを探す。ビアホールらしきところに入る。Light bierをたのむ。ソーセージを2ペアの2個と他のものをとる。4人でシェアして食べる。ウエイターは片言の英語をしゃべる。
午後のセッションに出る。ビールのせいで、1セッションの間すべて寝てしまう。私の発表場所(G/COS)での発表の様子が分かる。沖縄の映画館くらいの場所である。10分くらいで発表するようにとマニュアルに書いてあったが、たいていは13分くらいしゃべっているようだ。
休憩時間にStに出会う。Ohsさんに先月会った話をしたら、昨日、彼の結婚式だったはずだという。招待があったが、ここに来るため行けなかったと言っている。子供の話を聞いたら14歳だよと答えるのみで、あまり話したがらないように見えた。彼の結婚生活はうまくいっているのかと思ってしまう。考えすぎか。
ポスター会場でK君に会う。来ていると思わなかったので驚く。F君に会う。予想していなかったので驚く。あらかじめプログラムをチェックし知り合いに会うことを計画すべきである。国際会議は、直接交流の場であり、Stや論文で知っている人と直接話す機会であると捉え、交流を図るべきと考える。論文の内容について直接質問するのがいいだろう。
Exhibiter’s receptionでワインを飲む。ビールのところには列ができている。Ohさんと話す。韓国の国際会議に歌声合成を出そうかと考える。締め切りはまだだったかも知れない。Knに発表させて私は観光しようかと考える。Ohiも連名にしておけば彼の学位は近くなるだろう。英語を彼に書かせるといいだろう。論文の新規性は、Sgが楽器に応用したものを歌声にしただけでいいだろう。
K、F君のグループとMerienplatzに出る。中央駅方面に歩き、レストランに入る。昼食と同様ソーセージなどをひとつずつたのみビールを飲む。私はここにきてまだ発表練習をしていないので、ビールのお代わりをしない。ATRの人のHMMのモデルに関して専門的な話が続く。腹を壊しているのか、トイレに入る。または日本で朝の時間なのでトイレに行きたくなるのか。
風呂に入り、練習などをする。本日も寒いので、風呂桶に湯をためて足を伸ばして入る。ふだん家でもめったに湯に入らないが、ここにきて入れたのは幸運であった。これで風邪をひかないで済んだ。部屋にドライヤーが付いていたのもよかった。湯を沸かして紅茶を飲む。紅茶や緑茶は回数分あってもよいと思った。
ペイTVを観る。ドイツのそれがこれほどのものとは思わなかった。高校卒業のころ闇のバーで見たブルーフィルムそのものである。
4月22日(火) 国際会議2日目、ドイツ博物館、午後のセッション、夕食
Stの発表さえ聞けばいいということで、7:00に起床し、発表の練習をしてみる。12分くらいでできたので、この1回でよしとする。昨日他の人の発表を聞いていたら、13分ほどしゃべっているようなので、12分でちょうどいいだろうと思う。(実際は質問時間が短くて有用なコメントがもらえなかったような気がする。やはりマニュアルに書いてあるとおり、10分程度にすべきであった。)
ドイツ博物館に行く。近くで歩いて行けると聞いていたので、地図と羅針盤でたどり着く。広そうなので、まず昼食をとる。セルフサービスで分かりやすい。ソーセージと、フライドポテト、コークをとる。若い人と相席しようと聞いてみたら他に2人いるというので、隣のおばさんのグループの中に入る。気の優しそうな日本のおばさんのような気がしたので話しかけたかったが、英語が通じそうもないのでやめる。しかし、人間の気持ちは同じであるので、言葉はいらない。身振りとその場の状況で意味は通じるものだ。
博物館は科学というより、科学技術の博物館だ。生物・地学はなく、工学・技術がある。機械関係のものも多く、大型発電機、自動車、鉄道、飛行機などが好きな人にはたまらないだろう。楽器のところに機械式音声合成器があった。片手では操作できないので、そばにいた小学生の女の子に操作してもらいビデオに撮った。一部音の小さいところもあるが…。英語は通じたようだ。ドイツ人ではないかも知れない。
物理学のところが楽しみだったが、パネルと小さな機器があるのみ。有名な物理学者の原著があるかと思ったが。コンピュータのところはおもしろかった。リレー式、真空管式があった。最後はスーパーコンピュータのクレイだ。クレイを背にして座れる椅子兼用になっていた。学生のためにビデオを撮る。
外の売店で紙工作のセットを買う。高価だ。
5:30ころOch・Kの発表会場に行き、彼らのポスターを見る。Kさんには英語で説明される。まだ十分英語に自信がないようだ。Ochさんへの質問が長く、待たされた。東工大と慶応大のD3の学生を紹介されて5人でmarienplazに出る。Ochさんが見つけたビアホールに入る。気の優しそうなお婆さんが給仕をしている。英語は通じる。ソーセージを4皿とビールをたのむ。となりに中年の2人組がいる。なんとなく話しかける。英語がほとんど通じない。片言の英語とドイツ語で話すが、ほとんど通じないので残念。ビデオを撮る。吸い込みタバコをやっている。我々も吸わせてもらう。
私は明日の発表もあるので、marien plazの駅で別れる。彼ら4人はさらに飲みに行ったようだ。
風呂に湯をためて入る。簡単な洗濯もする。
4月23日(水) 国際会議3日目、自分の発表、同様の研究をしている香港市立大の研究者、バンケット
8:45会場に着く。プレナリーセッションが始まっている。実際の脳とニューラルネットの関係を論じるものである。最初の15分は聞き逃したが、通常の解説教科書の域を出ないもののようであった。最後は人工内耳をつけた子供の写真で終った。人工内耳のためにニューラルネットが使えないかいうテーマを思い出した。
この後15分の余裕があったが荷物を前の方においてトイレへ。5分前に戻る。司会に名前を告げる。待ち時間が5分ほどあったが、当日も簡単に練習しておくべきであると感じた。前書きだけでもやっておいたのは役立ったか。
発表は、途中で多少詰まるところもあったが、会場を見たりOHPの映り具合を見たりする余裕はあった。実験結果で比較のため基本L-Rモデルを使ったことを言い忘れたようだ。質問に比較を見たいというのがあった。質問は3つで、自己ループは初期条件では必ずあるのかとの質問ではコーディングの図を示しyesと答えた。結果の構造を見たいというというのがあったが、本日は図を持っていないと簡単に答えた。答えている途中にChair manが、あと一つ答えたら終わりですよと言っていたがよく聞き取れなかった。質問者に質問の内容を聞き直す余裕はあった。聴衆は原稿を持っていないという前提でOHPを作るべきだ。実際アブストラクトしか持っていない。
終了して香港大の助手に声をかけられた。昨日気づいた人だ。私と同様の研究をしている。SP magazineに書いた人のようだ。本も書いているようで、出版されたとのこと。多少情報交換をする。ICOTの論文を送ってくれるという。名刺交換をする。香港に来た時は寄ってくれと言う。これほど近い研究をしているとは、ライバルとして気をつけねばならないと思う。彼らに負けないように馬力を入れなければならないが。私と彼の両者とも構造とパラメータの両方を最適化する方に向かうのか。明日彼のポスター発表を聞くことにする。
松下のHiさんがいることに気づく。F、K君らと昼食。ピザを食べる。あまりうまくない。
ビデオセッション、ポスターセッションを見る。オーラルを聞いてもよく分からない。ことばに追いつかない。眠くなる。以前に比べて強く興味を引くものがない。事前にチェックして、ぜひとも聞きたいものを聞きに行くのが良い。どうしてもGAに興味を持っているからか。他のものは目新しいものはないように思う。Eurospeechの方がおもしろい発表が多いかも知れない。
バンケットに出る。バイエルンの夕食会ということで期待したが、ダンスが少なく、がっかりした。シュレーダーの講演はおもしろかった。多少長すぎたが。アインシュタインのE=MC**2をピタゴラスの定理につないだのがおもしろかった。料理の出るのが遅くなった。3時間のバンケットで残りの1時間のところでようやく出た。素朴なステーキ、サラダ、素朴なパイ。コーヒーは我々のテーブルだけついに来なかった。
4月24日(木) 国際会議4日目、香港市立大の研究者の発表、イギリス人の英語、王宮、お土産
7:00に起床。9:00ごろ会場に着く。昨日の香港市立大のKwangは隣の部屋でポスターを見ている。彼のポスターを読んでみる。時間前に彼が来る。多少議論したところで、発表のための1分ずつのAuralがある。
人々が多数来る。Kwangに順序よく説明させる。彼はClosed testで尤度が高くなることを示しただけである。後ろからK君がClosedではないかと言っている。ATRのKtさんが、これをGAで行うことに対して異議を唱えている。GAを使うこと自体に異議を唱えているのか分からない。
昼食をKさんと一緒に取る約束をしたので、Exhibitionを見ながら暇つぶしをしようと出かけたが、本日はすでに片付けてあり、見るものがない。G/COSに行き講演を聞く。ちょうどNkさんが講演を終わり、質問を受けているところであった。Nkさんは、質問者の言うことが分からず、議長に助力を求めていた。議長の言うことは分かるようだ。
――昨日のことだが、リバプールの人のポスター発表が最も聞きとりにくかった。途中で質問を続ける気力もなくなった。他の人に分かるのだろうか。その周りには人が少ないようなので、私ひとりではないようだ。イギリスの田舎の方が世界で最もひどい英語話すと言えそうだ。――
Och、Kとスパゲッティーを食う。チーズを求めたら、そのレストランには無いとのことであった。チーズをたっぷりかけたスパゲッティーがおいしいのだが。
ホテルに戻り、着替えてMrien platzに出かける。Residenz(王宮)を見る。かなり多くの部屋をのぞくことができる。パリやマドリッドで王宮を見ているので驚くべきものはない。多少質素のように見えた。建物は戦後再建されたもののように思われる。内容物はヒトラーが山に隠しておいたので残ったと受付の係員が言っていた。王宮の中にいる説明員は誰も英語が話せないという。古い世代の人だからか。
お土産を買おうとガイドブックに載っている民芸品店に入るが、ひどく高いようだ。他に日本人の若い夫婦がいたが、彼らもガイドブックで見たのだろうか、新婚旅行のお土産か。多数の小物を求めていた。私は金属製の壁掛けと人形、熊の人形を買ったが、これだけで200マルクがなくなった。ここではカードが使えない。
有名なスプーンなどの金物屋に入るが、セットものは数百マルクで、買う気がしない。スイスアーミーナイフと金属キーホルダー3個を買う。少ないので、カードが使えないという。
先日入ったお土産屋に行き、まずカードが使えるか聞く。使えるというので安心して買い物をする。金属製のビールカップを3個買う。二つは両方の両親へ。ひとつは自分のもの。両親のものは50マルクほど私のものは100マルクほど。スプーンとバッジも買う。これだけ買ったので、熊の小さな人形をおまけにくれた。先に買ったばかりなのだが…。これで美華と真紀へのお土産ができた。
ここには人形がなかったので、隣のお土産屋に入る。100マルクほどの手ごろのものがあったので、これを求める。箱入りである。スペイン、ギリシャ、ドイツのものがそろった。それぞれ約7,000円という目安だった。
ミュンヘンの象徴である双子タワーのある寺院に行く。観光客が中から出てくる。外に乞食がいる。
ホテルに戻る途中にデパートがあったので、どのようなものか中に入ってみる。アメリカに比べて服などは日本のように明るい色のように思われる。季節によるのだろうか。アメリカのものは暗いように感じたが。トイレに行くため、最上階に行った。トイレ番の黒人女性がいた。1マルクを置いてきた。最上階はセルフサービスのレストランだったので、ビールと鶏肉カツ、ジャガイモをたのむ。見晴らしがよく、ミュンヘンの象徴の双子タワーが見える。一人だけであったが、最後の夕食としては満足のものであった。
荷物をまとめる。人形を入れるため、靴だけは他の入れ物になった。次回からは大きすぎてもいいから、大きいスーツケースにした方がいい。
4月25日(金) 市内観光、王の離宮、帰国へ
1時間の市内観光バスに乗る。金が心配だったので、フロントでチェックの換金をしようとしたら、10マルクまでしかできないという。チェックの最小が20ドルで、すでに30マルクくらいになるので、できなかった。
観光バスの場所に行ったら、まだ開いていない。バスは10時発だ。9時30分になり、そこが開いて(デパートだった)バス案内に聞いたら、直接バスで支払えという。チェックで支払いができるかと聞いたら、できないとのことで駅の銀行を紹介された。20ドルを換金した。
時間になりバスに乗る。英語とドイツ語での説明があった。地図を見ながらどこを通っているのかを確かめながら、風景を見る。やはりバスに乗ってよかった。会議の会場とホテルの往復では町全体の様子は分からない。中心部で主なものを見ていたつもりであったが、ミュンヘンはまだ見るべきところがあった。町全体は結構大きいと言える。パリのようにかなり金のかかったであろうと思われる、立派な19世紀の建物がある。ヨーロッパの都市に来た時には、やはり、1日早く来て市内観光バスに乗り、町全体を知っておくのがいいようだ。全体のイメージをつかんだ上で、会場で過ごす。ヨーロッパの立派な都市での会議という気分が味わえ、会議への参加意欲もわくと思う。
11時にホテルにもどり、チェックアウトをして、荷物をホテルのクロークに置く。ガイドブックによればミュンヘンンベルグ(王の離宮)の午後の開場が13時30分であることを知ったので、どこかで暇つぶしを考える。結局ホテルのバーでサンドイッチをたのみ昼食をとる。
思いついて、13時まで苗子へのお土産を買いに出る。先ほどのデパートの一階に行く。宝石類がある。1万円程度の指輪があるので、これを選ぶ。スイス製だというのでお土産にいいだろう。
Uバーンに乗り、ミュンヘンンベルグに向かう。指定された駅で降りる。12番の市電に乗れとガイドブックに書いてあるが、どの方面向けに乗ればいいか分からない。ともかく12番停留所に行く。そこにいた人にミュンヘンンベルク行きかを聞いて、そうだというので10分ほど電車を待つ。来た電車に乗り込む。しかし本当は、どの方面か分からない。電車にのると高校生の男の子が席を譲ろうとする。ことわり、nach Munchenberk?と聞く。久しぶりに「方面」という意味のドイツ語を思い出す。ガイドブックにミュンヘンベルグで下車と書いてあるので、電車の表示板と、電車地図の駅名を突き合わせて、どこまで来たかを知る。ミュンヘンベルグのひとつ手前に来たところで高校生の男の子が降りようとしたので、next station?と聞いてみる。彼はここだという。ガイドブックの間違いか。昭文堂のガイドブックは十分でない。彼がついて来いというので、付いて行く。彼は日本との交換留学で日本に行きたいとのことで、日本語も勉強しているようだ。すでに彼の高校に日本からの交換留学生が来たようだ。英語が十分通じるのには感心する。ミュンヘンベルグの入り口の橋で分かれる。
ミュンヘンベルグは相当大きな庭園だ。城の中はノイシュバインシュタインと同様の壁画がある。考えてみれば、同じルートビッヒ二世の城だ。馬車屋には立派な馬車が数十台置いてある。さすが19世紀のバイエルン王だと思う。パリの貴族にも劣らない。こうしてみるとマドリッドの王宮がそうであったが、ヨーロッパの19世紀の貴族はほとんど同じような文化を持っていたようだ。王宮の内部だけではどの国であるのか当てられない。それほどに同じ文化だ。
鏡の間に行くが、銀であろうか、錆びているようで輝きがない。100年ほどたつと銀は錆びるのか。中庭は相当広い。ベルサイユ宮殿の庭ほどもあろうか。
1時間ほどでさっと回り、中央駅のホテルにもどる。荷物を取り空港に向かう。電車の回数券を6単位だけvalidateする。本当は8単位だ。チェックの車掌が来たら残りを払うつもりだ。しかしやはりチェックはない。どれほどの人がちゃんと支払っているのだろうか。日本のNHKの受信料の支払い率以下ではないかと想像する。
空港について近くのLufthansa航空のチェックインカウンターでチェックインする。 荷物は那覇までと言ったのでOKと答える。
飛行機の搭乗まで1時間ほどある。さらに15分くらい遅れた。この遅れが広いFurankfult空港でどれくらい影響するか心配になる。しかし、乗り込んでみると1時間の予定が35分ほどで着いてしまう。あまりにも早いので、機内の飲み物のサービスが我々の前の方の席で打ち切られる。
広いFurankhultの第1ターミナルであるかさえ分からないので心配であったが、出口で全日空の現地係員に日本語で私の名前が呼ばれ、安心する。E6ゲートだという。もう一組は、女の子3人を連れた家族であった。速足で第2ターミナルへ向かう。第1ターミナルのSkyline乗り場の前でパスポートコントロールがある。Skylineを降りたところで手荷物の検査がある。急いでいたので、せっかくの免税の用紙を使わずに終ってしまった。
E6でチェックインをする。荷物が那覇までになっているが、那覇では税関と国際線出口が異なるので、関西空港で税関を通るように変更するという。ラベルを張り替えるところなので、大丈夫ですかと念を押す。古い方の番号だけ記録しておくという。あとで、ラベルを変更せずに関西止まりにできたとのことで古いラベルを持って来ていた。