1973年大学生のとき所長はコンピュータを製作しました。それはワンチップマイコン8008がちょうど出た(1972年)ころです。従って、製作したコンピュータは、メモリを除いて、LSI(大規模集積回路)ではなくMSI(中規模集積回路)を組み合わせて作られています。アマチュアがMSIでコンピュータを作ることができた最後の年でした。その後、小規模コンピュータはすべてワンチップマイコンを使用して作られるようになりました。
電子技術雑誌である「トランジスタ技術」の1973年5月号と6月号に手作りコンピュータATOM8の製作記事が出ていました。大学3年生だった彼は、これを見て6月に製作を決意し部品を集め、10月に製作をはじめて11月に演算部を完成させました。翌年6月にはプログラムも動作するコンピュータが完成しました。

ATOM8設計図(トランジスタ技術1973年5月号、6月号)

完成した手作りコンピュータATOM8
設計図には5箇所ほど記述ミスがありましたが、その都度それを修正して完成させました。つまり、その5か所は彼が設計したようなものです。特に偶数マイナス奇数の場合だけ結果が1だけ少ないというものがありました。製作記事を書いた東京の設計者に会い1時間ほど一緒に検討しましたが、解決しませんでした。大学に帰って、計算原理から検討した結果、設計図において1か所接続ミスを見つけ、解決しました。設計製作者は、自分の装置は正しく動作していたので、気づかなかったのです。印刷製図の段階での誤植だったのです。
所長は、この経験を活かし、大学院学生の時代には、研究室のディジタル測定器などを作ったり、副業として原子力発電所に納める装置を設計製作したりしました。
このころの経験を「プロフェッショナルの無意識」という合成歌声でも紹介しています。
余談:ATOMは設計製作者名「富崎 新(Arata TOMisaki」から取ったのだそうです。所長の名前にもATOMが隠れていますね。見つけてください。これを見つけた琉球大学音声言語処理研究室の学生は、研究室の名前をATOM研究室と呼ぶようになりました。