(2025年5月26日)
合唱団で説明されている発声法は、「鼻母音」[1]のことではないかと考えた。そこで、母音と鼻母音を自分で発声して録音し、分析して比較した。その結果、鼻母音のとき歌手のフォルマント[2],[3],[4]が強くなることが分かった。歌手のフォルマントは、バリトン歌手の「 響く声、通る声」の基になっている。鼻母音は、これをさらに増強する発声法であった。このことは、声楽の発声法に関して新しい知見を与えるものと考えられる。
響きのある声を出す練習としてmaaと発声して共鳴を確認することがある。また合唱団では、子音を出さず鼻音化した母音だけで歌う練習をすることがある。また、ときどき[ŋa]の発声練習をすることがある。それらは鼻音のことであり、上の分析結果からするとたいへん合理的である。
歌手のフォルマントは、バリトン・オペラ歌手の響きがあり通る声の基だと言われている[2],[4]。一方、鼻母音は、母音を発声するとき、口だけでなく、口蓋帆を開けて鼻にも声帯振動音を通した音である。(図1 [5])バングラデシュ語の母音には、すべての母音にそれぞれ鼻母音がある。筆者らはそれを分析・研究した [1]。この音は、練習すれば、日本人でもすぐ発声することができる。そもそも鼻音[6]は、口腔のどこかを閉じ、鼻に声帯振動音が行くようにした音で、日本語では[m, n, ŋ] がある。
音声[a, i, u]のスペクトル分析結果を図2に示す。スペクトルは、母音と鼻母音を対比して示した。歌手のフォルマントはそれぞれ3kHz付近の山である。図では矢印で示してある。すべての母音で、鼻母音の方が高い山になっている。つまり、鼻母音の方が母音より響いている。
日本語の母音[i, e, a, o, u]と対応する鼻母音(i’, e’, a’, o’, u’と表記)を各3回発声し、歌手のフォルマントの強さを計測した。そしてその値をスペクトルの最大値との差で表した。結果を図3に示す。図では3回発声したものの平均値を示した。グラフが短いほど強いことを表している。この図から、すべての母音において、対応する鼻母音の方が歌手のフォルマントは強いことが分かる。
我々は鼻腔が共鳴空間として最重要ではないか[3]と推定していた。上の結果から、それは歌手のフォルマントの観点からは正しいと言える。専門書[4]には歌手のフォルマントを作るには「咽頭・喉頭に円柱状の空間を作ること」と書かれている。口蓋帆をあけて鼻に声帯振動音を通すと、そのような空間も作りやすいと考えられる。
発声練習は、意識的に動かせる器官でのみ可能である。鼻腔は変形できないので、練習できないと思われがちである。そこで通常は、練習できる咽頭・喉頭のことだけに言及するようである。しかし鼻腔でも動かせるところがある。その入り口である口蓋帆である。そこを開けると鼻子音・鼻母音になる。そこの開け閉めを練習して、響きのある声を習得することができると考えられる。
今後の課題は、西洋歌曲におけるフランス語の鼻母音について同様に分析[7]することである。
(高良富夫:音・話ことばの実験室所長、琉球大学名誉教授、工学博士、日本音響学会終身会員)



文献
[1]高良富夫「音声言語処理入門」(2024)研究社, p. 81, pp. 145 – 146.
[2]高良富夫「音声言語処理入門」(2024)研究社, pp. 57 – 60.
[3]酒井弘「発声の技巧とその活用法」(1974) 音楽之友社, p. 115.
[4] J. スンドベリ著, 榊原ほか訳「歌声の科学」(2007)東京電機大出版, pp. 115 – 130
[5] 高良富夫「音声言語処理入門」(2024)研究社, p. 77.
[6] 高良富夫「音声言語処理入門」(2024)研究社, p. 81.
[7]田 大成「フランス声楽曲に於ける鼻母音発声の研究」音楽情報科学 29-3 (1999. 2. 18).
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