著名な随筆家・物理学者、寺田寅彦が昭和初期に書いた随筆に「音の世界」がある。そこには、音に関するいくつかの興味深い話が書かれている。
潮汐昇降の曲線や、気圧の日々の変化の曲線、米相場や株式の高下の曲線など、変動する曲線を音にすれば、聞いてそれらの特徴を判別することが可能ではないかと。
確かに、変動する曲線は振動のようなものなので、そのまま音にすることができるだろう。ただし、意味のある特徴が聞こえてくるとは思われない。
さらに寺田は、人間の横顔の額から顎までの曲線を連ねて音にして、顔を聴き分けることも可能であると書いている。
私は40年ほど前、植物中の電流の変化をコンピュータに取り込み、それを音にして交響曲を作る、という海洋博公園のプロジェクトに参加した。
残念ながら、そのような曲線は振動ではないので、そのままでは音として聞こえない。
だが、曲線を音の高さの変化とみなせば、音にできる。つまり楽譜とみなすのだ。琉球大に在職中研究室で開発した、音声合成スペクトル・エディタ(HISAIシステム)[1]を使えば、即座にできる。
先日、HISAIシステムを使って、人間の横顔の曲線を使って音を作ってみた。同様に、首里城にある大龍柱の龍の横顔も使ってみた。
龍の声は、阿形では叫んでいるように、吽形では唸っているようにも聞こえる。結構、龍の声のように聞こえるかもしれない。

図1 HISAIシステム:人間の横顔の曲線から音を作る例
HISAIシステムでは、音の三要素(音の高さ、大きさ、音色)に対応する、基本周波数、振幅、スペクトルを自在に編集して、それを音にすることができる。人間の横顔の曲線を使って音を作ったときの様子を、図1に示す。横軸は時間である。図は、上から波形、振幅、基本周波数、スペクトルの各時間変化である。この例では、「アー」の音声波形を読み込み、分析し、波形、振幅、基本周波数、スペクトルに変換する。そして基本周波数を人間の横顔の曲線に描き改める。その結果を用いて音声を合成した。
私は以前に、スペクトルにハート形を描いてそれを声にした。その結果の声[2]は、音声科学の学習の結晶になるように仕組んでおいた。世界にただ一つのハートのこもった音声だ。ただし、ハートはスペクトル分析システムでしか見えない。
形から音を作るといえば、モナリザの絵からモナリザの声を作る、というものがあった。この話は、音声科学の知見に基づかない[3]。モナリザの声を知っている人がいないので、正しさを証明できない。現存の人の顔で試したらうまくいかないことが分かるだろう。声の個人性は、外から見えない声帯や口腔で決まることは素人でも分かる。私が小学生のころから、歴史上の人物の声というのを聞いたことがある。だが、それらは、音声科学の知見からすれば、偽物なのだ。
文献
[1]高良富夫:「音声言語処理入門」研究社, p. 99, 108, 157 (2024年).
[2] 高良富夫:「音声言語処理入門」研究社, p. 115, 151 (2024年).
[3] 日本音響学会:「音のなんでも小辞典」, 講談社ブルバックス, pp. 56 – 58 (1996年).
