(1)オト・話ことばの実験室の、タカラです。本日は、静けさと美しいオトと題してお話しさせていただきます。
今日の話の内容は、次の4つです。
一つ目は、静けさのオトの話として、松尾芭蕉の「シズカさや…」という俳句をとりあげます。
二つ目は、美しいオトの話題として、オペラ歌手の美しい声をとりあげます。そして、三番目に、音楽での和音の美しさ、四番目に、カラオケの「エコー」についてお話いたします。
(2)今日のお話しのきっかけとして、沖縄コンベンションセンターでの琉球大学の入学式と卒業式のことをお話しします。私は工学部長として、舞台で、学長のシキジなどを聞いていました。その声はホールの「エコー」のため、聞きぐるしく、何とかできないものか、と頭をひねっていました。個人的には、長女の卒業式と次女の入学式を舞台で迎えることができたことは、父として、たいへんうれしいことでした。
(3)次女の卒業式では、一般父兄席で聞いていました。すると、聞きづらかった学長の声が、「エコー」もなく聞きやすかったのです。あとで、コンベンションセンターの担当職員に聞きましたところ、長女の卒業式の後からは、「スピ-カー」をつり上げて、学生に向けるようにしたとのことです。これにより、「エコー」が減りました。
(4)これは残響時間を定義する図です。残響とは、音源を停止してもオトが残ることです。それは、オトの「エコー」つまり反射が何回も繰り返えされることによっておこります。残響時間とは、残響音が減衰してほぼゼロになる時間です。
(5)これは最適残響時間を表しています。普通の「ホール」の大きさのシツ容量2000m2のところの赤丸を見てください。最適残響時間は、コンサートホールでは1.7秒、講演会場では0.8秒であることが分かります。コンサートホールでは長い方が、講演会場では短い方がいいのです。この知識はあとで使いますので、思い出してください。
(6)それでは一つ目の話題、静けさのオトです。松尾芭蕉の有名な俳句に「シズカさや岩に染み入る蝉の声」があります。私はこれを初めて聞いた小学生のときから疑問に思っていました。音は、岩に染み入るのだろうか。反射するのではないかと。
(7)これは、芭蕉がこの句を詠んだ山形県の立石寺です。ここに行って初めて疑問が解けました。ここは絶壁なので、音を反射するものがありません。音は、空中に出て行って帰ってきません。つまり空中に吸収されるのです。岩に染み入らずに空中に染み入るのです。
(8)これは、立石寺に似た、沖縄県の伊江島にあるタッチュウです。ここの頂上で空中に染み入る音を録音してきました。一本締めの拍手音です。同様に、自宅の部屋でも録音しました。
(9)これがその結果です。1.1が、タッチュウでの音です。1.2は、部屋での音です。
空中に染み入る音は、「ペタッ」と聞こえます。音を吸収する壁で囲まれた防音室で聞く音にそっくりです。芭蕉は、空中に染み入る音を聞いたと考えられます。
(10)美しい音の話をする前にその基礎となるスペクトルについて簡単に説明します。スペクトルとは、音の周波数の成分の構成を表したものです。ある時間幅で波形を切り出し、スペクトル分析をします。時間幅は、時間マド長と呼ばれています。上の2つの図は、スペクトルの時間変化を表しています。下の2つは、ある時刻のスペクトルを表しています。下左の図のように、時間マド長が長いと、スペクトルの微細な構成が分かります。右図のように時間マド長が短いと、微細な構成は分かりにくいですが、スペクトルの大まかな構成が分かるので有用です。
(11)これは下左の図を拡大したものです。横軸は周波数です。櫛の歯のような柱が等間隔に立っています。左端の柱は基本周波数成分です。赤で示した周波数が音の高さになって聞こえます。残りの柱は倍音成分です。基本周波数の整数倍の周波数ですので、柱は等間隔になります。この図は、音の高さやハーモニーを考察するうえで重要です。
(12)これは、下左の図に、下右の図の輪郭を重ねたものです。下右の図がスペクトルの包絡を表していることが分かります。スペクトル包絡が違うと、違った音色が感じられます。
(13)それでは、オペラのバリトン(男声中低音の)歌手の歌声の美しさの話です。
(14)ウタの一部をお聞きださい。これは有名な歌手のように聞こえるかも知れませんが、私の声です。私はこれからお話することを知っているので、このような声で歌えるのです。
(15)オペラのバリトン歌手の歌声には、3kHz付近に、歌手のフォルマントと呼ばれるスペクトルのピークがあります。このような声は、マイクもスピーカーもない時代に、声を遠くまで届かせるために工夫された音色の声です。これによって、大音量のオーケストラからでも声が突き抜けて聞こえます。この声の音色を現在、私たちは美しいと感じます。
先ほどの声をスペクトル分析しました。3kHz付近に、歌手のフォルマントが見えます。
(16)これは、「おー」の部分です。やはり歌手のフォルマントがあります。
(17)歌手のフォルマントについて、私たちは2001年に沖縄県の浦添市民会館ホールで実験をしました。いくつかの実験音声を準備し、ホールの最もうしろの席で大学生5名が聞きとって、聞こえなくなる最小の音の大きさを測定しました。実験音声は、左の図に示すように、話し声と、歌手のフォルマントを付けたものとしました。両者の音源の物理的な音の大きさは同じにしました。
実験結果を右図に示します。SFと示した歌手のフォルマントのある音声が、話原と示してある元の音声より小さい音でも聞こえることが示されています。なお、図では上の方ほど小さい音です。
(18)昨年、鼻から声をとおす母音、ビ母音の、歌手のフォルマントを測定しました。左のスペクトル包絡に示すように、ビ母音では、歌手のフォルマントが強くなっています。それは、右図に示すように、すべての母音でそうです。これは、ビ母音の方が遠くまで届くことを意味します。合唱などで行われている発声練習法が、音声科学的に合理的であることを示しています。
(19)それでは3つ目の話題、和音の美しさについてお話しします。音楽で使われる音の話の前に、純音つまり基本周波数成分だけのオトの和音について説明します。これは、2つの純音を同時に聞かせたときの、非協和度を表しています。非協和度とはニゴッタ感じの度合いです。横軸は2つの音の周波数の比です。それぞれの音を作ってありますので、聞いてみましょう。
このように、周波数比が1のとき、および1.4以上のとき、非協和度はゼロになります。そして1.06のとき、最大値になることが分かります。
(20)これは、音楽で使われる音の和音のスペクトルです。上の図は、基本周波数の比が、2対3、つまり1.5倍の2つの音である、「ド」と、「ソ」の、和音です。実線の3個目と破線の2個目が重なっています。そしてそれを繰り返しています。つまり、同じ周波数と、1.5倍の周波数になっています。したがって、前の議論から、非協和度がゼロです。オトは、澄み切っています。
下の図は、基本周波数の比が、18対17の2つのオトの和音です。実線と破線が近くにあるものが多いです。つまり、上の議論から、非協和度が大きくなっています。オトは、ニゴッテいます。
それでは音を聞いてみましょう。
3.12は、基準となる音です。3.13は、基本周波数がその2対3の音です。3.14は、その和音です。このように、きれいな和音に成ります。
3.15は、基本周波数比が18対17の音です。3.16はその和音です。濁った音になっています。
(21)音階は実は、「ド」の音と和音を作ると、きれいに聞こえる音でできています。つまり、基本周波数の比が小さな整数の比になっている和音が、きれいに聞こえます。先ほどの例は「ソ」の場合で、もっとも小さな整数の比です。次に小さな整数比は、「ファ」です。次は、「ラ」です。そして,「ミ」です。この順で音階ができたと考えられています。
それでは和音を聞いてみましょう。3.19の音です。3.21の音です。3.23の音です。
(22)最近、倍音とハーモニーの関係について新しい実験をしました。クラッシックの合唱の分野では、音の高さを正確に出し、和音を作ると、倍音が出る、と言われています。しかし、倍音は、これまで見てきたように、いつでも出ています。これはどういうことでしょう。
ドソの和音を聞いてください。この中に倍音、つまりウエの「ド」の音が聞こえるでしょうか。はっきりしませんね。
それでは、ドミソと前置きしたドソの和音ではどうでしょうか。聞こえるのではないでしょうか。
さっきのオトに戻って、「ドソ」の和音でも今は聞こえますね。
これは、どういうわけでしょうか。倍音は、だいたいこうだろうと予想して聞けば、聞こえるようです。
同様に、混声四部合唱の曲を、ソプラノとベースだけで歌うと、アルトとテノールの声が聞こえることがあります。それは、そのような音を期待するからです。実際には、ベースの倍音があるので、それが聞こえているのです。
私は男声合唱団の合唱の中に、ソプラノとアルトの音をたくさん聞いたことがあります。
むかし、教会での合唱で、そのような声が聞こえました。それは天使の声と呼ばれていたそうです。
(23)美しい音の3番目は、カラオケの「エコー」が、なぜいいのかということです。コンベンションセンター会場の「エコー」で、学長の声が効きにくいことをお話ししました。一方コンサートホールは、残響時間が長い方がいいこと、つまり「エコー」がある方がいいということもお話ししました。ここでは人工的に「エコー」を付けたオトがありますので、お聞きください。
3.28は、話声です。3.29は、それに「エコー」を付けたものです。
3.31は、オーケストラの音です。3.32は、それに「エコー」を付けたものです。
オーケストラの音は、エコーが、全く分からないほど、融合しています。
音楽の音は、音階のオトなので、音が重なってもニゴリません。エコー音ときれいな和音になっているのです。
(24)3.35は、コンサートホールの歌声です。エコーは聞こえますが、聞き苦しくありません。学長は歌声であいさつすればよかった、ともいえます。
(25)以上をまとめますと、このようになります。
(1)、松尾芭蕉の「岩に染み入る蝉の声」は、岩でなく空間に吸収された音と考えられます。
(2)、バリトンの歌声の音色の美しさは、歌手のフォルマントによります。
(3)、世界の民族音楽の音階の各音は、互いに協和度が高いです。
(4)、音楽でエコーが心地いいのは、音階の各音が重なっているからと考えられます。
これらを歌にして合成歌声を作りました。
(26)それではお聞きください。字幕を見ながらお聞きください。
(27)これは参考文献です。QRコードから、お入りください。
(28)最後に、おまけです。有名な随筆家の物理学者、寺田寅彦の真似をして、首里城の龍柱の横顔から音声を作りました。横顔の輪郭線を音の高さの変化と見立てました。音声科学の知識に基づいて、アゴの開きが大きい音声の音色は、「アー」とし、開きが小さいものは、「ウー」としました。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
