9月15日(金)シカゴで乗り継ぎ Pittsburgh Oakland

シカゴでの乗り継ぎでは時間の余裕があったので、パソコン通信でもしようと思った。だが、11時間の機内滞在で電源はすでになくなっていた。奥のほうの搭乗口付近でコンセントから電源を取ってパソコンを使用している人がいたので、私も使うことにした。

ピッツバーグ市に到着し、タクシーで市内へ向かう。市の入り口で、ダウンタウンの摩天楼のあまりの美しさに、H君が声を上げた。思い起こせば、1991年に私たちが初めてピッツバーグに到着した時も声をあげたものだった。

カーネギーメロン大学のあるOaklandに着いた。私たちが住んでいた地域だ。滞在するホテルHoliday Innは、その位置が前とは違うような感じがした。後で聞くと、そのあと建て替えられたとのことだ。入り口の感じがまったく変わっていた。

9月16日(土)大学散策、友人との再会

H君とカーネギーメロン大学の中を歩く。私のオフィスがあったケイブと呼ばれる大部屋は、今は仕切られている。私のホストであったSt先生の部屋には行けなかった。工学部とコンピュータサイエンスは、14年前とほとんど同じで、変化がなかった。大学の正面入り口左の建物が建て直されていた。そこにあったハンバーガー屋は2階に、プールは1階に移っていた。

Shelfield教会の横で待ち合わせて、BiとJeに会う。2人は夫婦で、当時、教会で留学生のためのボランティアをしていた。教会関係でワシントン旅行に連れて行ってもらい、家族3人でずいぶんお世話になった。11歳のTiも一緒だ。当時Tiはまだいなかった。Biはひげを蓄えていた。Jeはずいぶん横に増えていた。

モンロービルに向かう高速入り口付近のファミリーレストランに入る。サンドイッチやハンバーガーの店だ。彼らからお土産をもらう。私からのお土産をあげ、日本の家族からのビデオメッセージを入れたDVDをパソコンで見せ、そのディスクをプレゼントする。彼らから日本の私の家族へのメッセージをお願いし、ビデオカメラで録画する。

元住んでいたところへ車で向かう。Biはなかなかたどり着けない。私の案内でようやく家へ着く。家はまったく当時のそのままで建っている。建築中だった隣の家は完成している。まわりの風景は記憶とまったく同じだ。すぐにでも運転できそうだ。

M1が通っていたチャーチに着く。スーパーのジャイアントイーグルや妻が世話になった自動車修理工場の場所もそのままだ。14年たっているのに、不思議な気がする。昨日のことのように思い出せる。変わったのは、Biや私など人間だけだ。

マーレー通りを通り、ホテルHoliday Innへ戻る。ここで彼らと別れる。

近所を散策する。作曲家で有名なFosterの博物館に行ったが閉まっているので、ピッツバーグ大学の本屋へ行く。我々が世話になったピッツバーグの生活に関する本をH君に紹介する。

M先生の奥さんが私たちを迎えにホテルのロビーに到着。奥さんは、春に法事で沖縄に行ったが、着いた日から入院したそうだ。病名は聞かなかったが、疲れだと思う。このときは入院だけで、法事にも出ずに帰ったそうだ。

大リーグの球場の中が見えるステーキ屋へM先生が連れて行ってくれる。入室まで1時間ほど待たされる。待たされた割には球場が見えない側の席であった。ステーキはおいしかったが、あまり大きいので半分近く残した。先生方も持ち帰った。帰り際に、球場の見える側に移動した。

ホテルのロビーで、家族とM先生方とネットミーティングをしようとしたが、家側がうまくネットに入れない。家の接続の修復を試みるが、うまくいかない。

9月17日(日)Carnegie Museum、M家、ダウンタウンのホテル

Sさんから電話がある。彼女は、日本人会との付き合いも薄くなってきているようだ。Squeal Hillを案内するつもりだったようだが、必要なくなったので、ここでお別れということになった。

Foster Museumは今日も開いていない。

Jaのアパートに行く。Pittsburghは14年でも変化しておらず、道を間違えずにアパートにたどり着く。アパートの写真を撮る。

Carnegie Museumに入る。M2が科学に興味を持つのに役立つようなお土産を買う。M1、Nのも買ったので、最低限のピッツバーグのお土産はできた。

M先生に迎えに来ていただくが、H君の電子辞典を忘れたので、待っていただく。M家に向かう。突然、ビデオカメラが故障する。ふたが閉められなくなった。M家で写真を取る。いろいろなものが14年前とまったく一緒だ。懐かしい応接室のソファーに座る。

ダウンタウンのホテルの部屋に着き、registrationをする。Oさんにロビーで会う。カメラ屋を探しながら町に出る。

ネットでカメラのマニュアルを探し、それに従うとうまくいく。これまでのものがだめにならないように、テープを取り替える。

中華のファーストフードの店でチャーハンを食べる。水を入れて6ドルくらいか。

K君に会う。Oさんに会い、ロビーにて3人で話す。Nak先生も加わる。Oさんは、Stの家での歓迎パーティーで食べ物の少なく、よくなかったという。今回の同窓会にも出ないようだ。

ネットミーティングを試す。Nはパスワードの部分をマニュアルで探すことができない。ネットで探したマニュアルでは、IDとパスワードを設定する部分があり、ディフォルトは書かれていない。遅い時間になったので、ネットミーティングをやめる。

9月18日(月)学会1日目、Google主催のレセプション

国際学会会議に出席。Stの開会講演から聞くことができる。

部屋にもどり、ネットミーティングを試す。うまくいかず、2時間くらいでやめる。

昼食はファーストフード店にてピザ。

Oさんと話す。韓国語と琉球方言の比較共同研究を約束する。冬休みくらいからはじめることにする。

学会の講演を聴く。あまり聞き取れず、眠くなる。

部屋に帰り、発表練習をする。

Heinz Hallへ。コンサートホールの前の部屋でGoogle主催のレセプション。庭も使って立食パーティー。ほぼ満足な食事とアルコールがある。

総情センターへネット関係のメールを書く。

9月19日(火)学会2日目、学会発表

H君と発表の準備をする。

1時間、部屋でネットミーティングを試す。うまくつながらず、あきらめて会場に行く。帰ってみると、モデムのリセットで、つながるようになったようだ。

ポスターで発表する。内容は、Shaのバングラデシュ語の研究だ。10人くらいがやってきて質問等をする。日本人は、A先生ともう一人若い方から質問があった。バークレーのインド人の女性からは、日本語のnasalの分析をするべきでないかとのコメントをもらった。今回の発表の順序で論文を書いたほうがいいのではないか。その理由は、実験の後の適当なところに書いておく。Nasalのゼロは聴取実験では効かない、という我々の実験結果も論文にすべきと思った。Banglaとは何か質問する人が多かった。Bengaliとすべきかも知れない。

近くのレストランでサンドイッチの昼食。ポテトチップは日本人には余分で、持ち帰る。水は無料だった。

H君の発表。彼はほとんど自力でできた。カーネギーメロン大のBlackが来たので、その前で発表。英語やドイツ語でもストレスのためにdurationを用いることがある。パワーを用いるかdurationを用いるかは話者によると言っていた。論文ではこの辺を考慮すべきか。Amharic(エチオピア語)では母音でなく子音が伸びることを言うべきであった。

K君とその学生とレストランを探してダウンタウンを探索する。結局は、6thAvenueのイタリアンで食事をする。いくつかの料理とハウスワインを注文し、シェアして食べる。学生は20ドル、教員は40ドルで、おいしい食事だった。

研究室の学生と連絡が取れ、1時間遅れでネットミーティングをする。主としてH君とTadeが話す。H君が発表したのは、Tadeの研究したものだ。今回エチオピア人のTadeにはビザが降りなかったので、H君がピンチヒッターをした。

12:00ころNと連絡がつく。懐かしい人にあったことなど、今まで話せなかったことを一気に話す。日本時間の夜10:00に再会することを約して通信を終わる。

9月20日(水)学会3日目、バンケット

子供たちとネットミーティングする。希望のお土産を聞く。

最後に会場をざっと回って見る。Stを見つけたので、お土産のチンスウコウと琉球語が書かれたファイルをあげる。

近くのサンドウイッチ屋で昼食をとる。ポテトチップを持ち帰りにする。ボックスがきちんとしているので、翌日の朝まで湿気らない。

Mさんの奥さんと近くのモールに買い物のため出かける。途中、別のデパートによる。雨がちらつき、少し寒い。気温は15度C以下か。モールで、ペットボトル入れと、肩掛けバッグを買う。どちらも探すのに手間取る。日本でもモールで探そうとすると難しいものだが。

5時ごろ戻り、7時前にHeinz History Centerへ向かう。これは市の歴史博物館だ。スポーツのコーナーもあった。ここでバンケットが行なわれる。1階の交通博物館の狭いところだけかと思い、Oさんは文句を言っていた。Oさんが英語でF先生と話していたところに、日本語で割り込み日本語に変えてしまったので、Oさんが怒って、後で私を韓国語でしかった。

エレベータが広いので、バーになっていた。これに乗り5階に行った。ここがメインの会場で、広く、見晴らしいもいい。廊下の角で、女子学生らしき人がハープを演奏しているので、しばらく聴いていた。Stが来て、楽譜をめくってあげた。後で気づいたが、娘のSarさんと思う。

Stが奥さんを連れてきていた。Stも奥さんも長くハープの前にいた。声をかけ、写真を撮った。同じ場所にPedが現れたので、声をかけた。Googleにいるようだ。彼がHeinz Hallのパーティーを提供したのだろう。

スポーツ博物館等を見ながら下に降りていった。ラテンジャズを聴きながら飲むウイスキーはうまかった。

最下層に降りたところで、Oshiさんらしき人がいたので声をかけた。奥さんと一緒だ。あのころより若いように見えた。14年前とは思えない、不思議な気がする。

お土産屋さんを見る。ホテルに戻り、スプーンを買う。荷物を整理し、メールを書く。

9月21日(木)帰国出発

5時起床。メールをパソコンに取り込み、荷物をまとめる。インターネットの使用料が無料であることを言い、修正してチェックアウトする。

25分くらいで、空港に着くが、最後は走って飛行機に入る。シカゴでの乗り継ぎは1時間ほど余裕がある。

9月22日(金)帰国、荷物遅れ

成田に着いてみると、預けた荷物が届いていないことが分かる。US airから乗せることができなかったというが、上記のように時間の余裕はあったはずだが。ひどいものである。まさかあけて検査したのでなければいいが。ひどいことになっていれば、日本航空にクレームをつけることにする。日曜日の朝に家に着くよう送るという。お土産がなく、さびしい帰国となる。