(沖縄タイムス2025年2月16日茶飲み話)

数え七十三歳のトゥシビー(生年祝い)だった昨年の末、うれしい便りが届いた。石垣中学校の同期会からの「思い出のアルバム」DVDだ。その中の一枚を見た時、私の目はうるんできた。石垣小学校一年生の時のガジュマルの下の記念写真も入っていたからだ。

私は、小学校三年生の時に那覇へ転校した。だから、石垣小・中学校を卒業していない。この記念写真には、担任の浦崎先生と私、友人男女12人だけが写っている。先生が撮ってくれた石垣小学校でたった1枚の私の宝物だ。これは特別のことだった。記念写真は卒業の時にだけ撮るからだ。

それから40年後の四十九歳のトゥシビーの年、石垣出身の女性と偶然出会った。おどろいたことに、彼女は、この写真の中の一人だった。彼女は那覇にいる同級生にすぐ連絡してくれた。集まった人の中で写真に写っていたのは、ほかに親友一人だけだった。40年ぶりの再会だった。

この時から石垣の同級生の集まりにはいつもこの写真をたずさえて、写っている友人を探し求めた。

六十一歳のトゥシビー祝いは那覇でも開催された。石垣から参加した女性が、この写真を見て、クラスメイト全員が写っている写真を持っていると言った。ほどなく写真が送られてきた。これが存在するとは思わなかった。この写真も「思い出のアルバム」に入っている。

昨年のトゥシビーでは、同級生全員の目にとまるアルバムに私も入ることができた。私は、石垣小学校のクラスメイトの記憶の中に、ようやく戻ってきたのだ。実行委員会の皆さん、本当にありがとう。


新聞では「辰年のトゥシビー祝いと記念写真」

生年祝い:生まれた年と同じ干支の年にお祝を行う沖縄の習慣。12年ごとに行う。