(琉球新報2025年2月6日ティータイム)

今年は巳(ヘビ)年だ。ヘビと言えば沖縄ではハブだ。ハブに関して、私には特別な思い出がある

私の伯父はハブ博士と呼ばれた。ハブの生態を研究して博士号を取得したからだ。それは、私が小学校1年生の時のことで、琉球大学の教員ではほぼ最初の博士号だった。いつか私も博士と呼ばれるようになりたいと、伯父にあこがれたものだ。

二つ目は、小学校2年生の時、母がハブにかまれたことだ。私たち兄弟姉妹四名を育てるため、母の日にもかかわらず父と畑仕事をしていた。突然、右足先をかまれた。父は、母の足を縛り自転車で病院に搬送した。病院に着くと、すぐに畑にもどって行った。犯人のハブを捕まえるためだ。そのころ八重山では、かんだハブを煎じて汁を飲むとハブ毒が弱まると信じられていた。私は、ハブを退治した父を、さすがシベリアで三年間の捕虜生活を生き抜いてきた強健な勇者だと尊敬した。

母の日にも仕事をしなければならなかった母に申し訳ないと思った。その時、母への恩返しとして、将来かならず伯父のように博士になろうと決心した。

ところが、博士をめざした道のりは、私にとって人生で最も険しい山道だった。何度か崖から転げ落ちそうになった。瀕死の状態にもなった。だが、苦しい時には、ハブ毒による母の苦しみ、極寒のシベリアにおける父の苦しみを思い描き、もがきながらもはいつくばって必死にこらえた。

ハブにまつわる決心は、22年後に結実し、工学博士になることができた。今は亡き母と父そして伯父に心から感謝している。


新聞では「思い出すハブにまつわる決心」